北海道一周、自転車で走ったよ!?
2010年夏、苫小牧をスタートしました。さて、結末はいかに? 紀行エッセイです。
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2010年8月19日(木) 旅はまだまだ終わらない (苫小牧 4km)
案の定というか、予想通りというか、昨晩は一睡もできなかった。というよりしなかった。まあ、ネットカフェで泊まると決めた時点でそのつもりだったんだけどね。
だって、もう自転車で走らなくてもいいんでしょ。後は電車で運ばれていくだけでしょ。眠かったら電車の中で寝ればいいわけだし。それに寝ていれば時間をやり過ごすこともできる。一応、そこまで計算した上での行動なのです。
などという理屈を心の中でつけながら、午前四時半過ぎ、ネットカフェを出る。外は一面の霧だった。
「うわっ」と一瞬思ったが、「これはこれでいいかも」とすぐに思い直す。だって北海道を発つ日に霧でしょ。ある意味、最後に北海道らしさを味わえる。そう考えるとツイていると言えるのではないか。そう思ったのです。
なんだか朝っぱらから前向きなわたしである。徹夜明けが、いい方に作用しているようだ。
静まりかえった苫小牧の街を走る。目の前は霧に遮られて視界がきかない。そのせいか自然と意識は耳にいく。聞こえてくるのは一定の間隔で鳴るチェーンの音だけ。スピードを上げると、ひんやりした空気が頬をなでた。
午前五時過ぎ、苫小牧駅に到着。手際よく輪行を済ませる。いやー、わたしもずいぶん慣れましたね。まあ、相変わらずキャリアを外すのは面倒くさいですが。おっと、ちゃんとネジはポッケトに一時保管しておりますよ。こう見えても意外と学習能力あるんです。
さあてっと、後は電車に乗るだけ。昨日、ネットで調べたら、なんと乗り換えが十一回もあった。でも、不思議と嫌な感情は湧いてこない。むしろ、まだ旅を続けられるのかと思うと、正直嬉しさの方が大きい。そう思うのは、よっぽど北海道がよかったのか、それとも旅の魅力にやられちゃったのか。きっと両方なんでしょうね。
午前六時、電車に乗り込む。朝早いこともあって車内はガラガラ。余裕のポーズで座席に座る。少しして電車が動き出す。苫小牧の街を抜けると、突然、目の前が開けた。
おお!海だ!海だ!いやー、久しぶりのご対面。思わずテンションが上がる。
海の前には、線路と平行に一本の道路が走っていた。しばらく外を眺めているとあることに気がつく。あれ?もしかしてこれってわたしが初日に走った道じゃない?見覚えのある道に走った時の記憶が呼び起こされる。
そうだ。そうだ。やっぱりそうだよ。不安と期待が入り混じった中、とにかくがむしゃらにこの道を走ったんだよなあ。いやー、懐かしいなー。しばし感慨に耽る。それにしても、一度、自転車で走った道を今度は電車に乗りながらそれを眺める。なんだかとっても不思議な感じ。当然、電車は何もしなくても前に進む。しかも自転車とは段違いのスピード。そう考えると、自転車で北海道一周したわたしってスゴイんじゃないだろうか。達成した当初はあまり感じなかったが、さすがにこの時ばかりは強く感じた。

午前八時五十二分、最初の乗換駅である長万部に到着。ちなみに次の電車までは二時間ほどの待ち時間。あはは。まあ、いいですよ。別に急ぐ旅じゃないし。のんびり行きましょ、のんびり。
といっても、二時間も駅にいても仕方ないので、一旦、外へ。というか、朝メシを食べるのです。改札できっぷを見せ、構内を出る。
あぢー。一歩、外に出た瞬間、日射しが束になって襲いかかってきた。なんなんだよー、この暑さ。これじゃあ内地と変わらないじゃないか。まったく北海道に(以下省略)。
駅で見た地図によると、この近くにセブンイレブンがあるらしいのでそちらへ向かう。しかし、これが思いのほか遠かった。地図で見た時はえらく近くに感じたのだが、歩き出してみるとこれがなかなか着かないのだ。
「あっ」よく考えたら、さっき見たのは地図というよりも手書きの簡略図に近かった。距離なんてテキトーなのである。くそーっ。なんか騙された気分。
あまりの暑さに一瞬、引き返そうになるがここまで来たら戻るよりそのまま行った方が近いと判断。結局、そのまま進むことに。
熱気が体にまとわりつく中、なんとか辿り着く。おそらく最後であろう「でっかいやきそば弁当」を買って食べる。もう終わりなんだよね。食べていたら自然と涙が……というのはウソですが。
食後、雑誌を立ち読みする。というより、涼んでいるのです。あまりの暑さに外へ出る気がしないのですよ。とはいえ、いつまでもここにいるわけにもいかない。えいや、と気合を入れてドアを押す。
「誰か火でも焚いているんじゃないか」そんな熱気が体にぶつかってきた。うわっ、なんだよ、この暑さ。一瞬にして気が萎える。やっぱり戻ろう、と思ったが、そうすると次が出にくくなる。頑張って、再度アタック。ドアを開けると、ふたたび熱い空気が体に当たった。うわっ。またしても挫けそうになりドアを閉めかける。しかし、心を鬼にしてなんとかクリア。出てみると外は相変わらずの暑さ。というか、日が高くなった分、なんだか暑さが増した気も。あぢー。目の前が朦朧としてきた。日射病になるかも。一瞬、そんなことが頭をよぎる。うー、こんなところで倒れたらシャレにならんぞ。というよりカッコ悪い。自転車であんだけ走っても大丈夫だったのに、ちょっと歩いただけで日射病になったりしたらダサすぎでしょ。とにかく「駅に着く、駅に着く」そのことだけを考えて歩く。
なんとか駅に到着。ちなみに道中のことはほとんど覚えてない。あまりの暑さに記憶が飛んじゃったのだ。
乱れた呼吸を整え、椅子に座る。ふーっ。助かったぜ。
電車まで、少し時間があったので本を読みながら待つことに。それにしても思ったより二時間はあっという間だった。多分、セブンイレブンの往復に時間をとったせいだと思います。

午前十時四十三分発の函館行きに乗る。通路を挟んだ隣の席に六十代くらいの男性がいた。大きなザックを横に置いていたので旅行者と思い、話しかけてみる。訊くと、定年を迎えたばかりの登山者。北海道へは利尻山と羊蹄山を登りに来て、今はその帰りだそうです。
おお、なるほど。登山者でしたか。そういえば、さっき見たホームでの立ち姿は実に背筋が伸びきっていた。がっちりとした体から伸びた腕はまるで丸太のようである。
この方、なんと三重から18きっぷを使って北海道に来たというから驚いた。登山も好きだが、電車に乗るのも好きなんだそうです。いや、いくら好きといっても、三重から普通列車で北海道でしょ。スゴ過ぎですよ、あなたは。
今まで、18きっぷは若者の貧乏旅行、そういったイメージが強かった。しかし、このおじさんのを話を聞いて少し印象が変わった。なんだか楽しそう。ちょっと勇気が出てきた。よし、わたしも年をとっても利用することにしよう。
話を続けていると、突然、前のボックス席に座っていたおばさんがニコニコした顔をこちらに向けてきた。年は六十代、いや七十代といったところか。ただ今、老後満喫中。そんな感じである。
「今日も暑いわねー。長いこと北海道に住んでいるけど、こんなに暑いのは初めて」相変わらず顔はニコニコ。笑うと顔がしわくちゃになる。
きっと手持ち無沙汰なのだろう。誰かと世間話をしたいのだろう。ま、いっか。こっちもどうせ暇だし。話し相手になってあげようかね。そう思い、おばさんの話に耳を傾ける。しかし、この後わたしは信じられない言葉を耳にすることになる。
「いつもならこの時期、朝晩は寒くてストーブを焚いているのよ」
ん?ストーブ?・・・・・・ストーブっていったら、寒い時につける、あのストーブだよね?でも、なんでこんな暑い日にストーブの話が出てくるの?・・・・・・え?まさか本当にストーブつけてるの?こんな真夏に?おいおい、マジかよ。
いやいや、待て待て。いくらなんでもそりゃないだろう。だって、むしろストーブを焚いているような暑さなんだぜ。それなのにわざわざストーブなんて焚くわけがない。これはきっとおばさんの悪い冗談。どうせわたしを通りすがりの旅行者と思って騙そうとしているのだ。きっと、そうに違いない。
しかし、おばさんは何事もないように話を続けてくる。「この時期、ストーブを焚かないなんで初めてだよ」
真顔だった。しかもなぜかおばさんは声をヒソめている。誰かに聞かれちゃまずい話なのか?
おいおい、マジかよ?それって冗談じゃなかったのかよ?
いやはや驚いた。まさか本当にストーブを焚いているとは。どんだけすごいんだよ北海道。
でも、そのストーブがいらないっていうことは、よっぽど暑いってことだよね。やはり今年は異常気象なんだろうか。
わたしたちが話を聞いて気をよくしたのか、おばさんはさらに話を続けてくる。しかし、今度はどこか寂しげだ。
「長万部も昔はすごく栄えていたんだけど、今はすっかり寂れちゃってねぇ」
そう、そうなのである。長万部は、乗換駅なのでさぞかし大きな駅、駅前にもロータリーがあり、たくさんのお店で賑わっている。着くまではそう思っていた。でも、実際は違っていた。駅舎はこじんまりとした質素な木造。ロータリーなんてどこにもなく、すぐ目の前は道路。それも三段跳びで渡れてしまいそうな狭い道路なのである。なんだか遠くに来ちゃったなあ。そんな感想を抱いてしまう。
「これなら八雲の方が大きなスーパーもあるし、ホームセンターもあるし。よっぽど栄えているよ」わたしがそう言うと、おばさんはすっかり笑顔を取り戻した。「そうなのよ。今日は今から八雲のパチンコ屋へ行くのよ。長万部にはパチンコ屋なんてないからね」
なるほど。解せました。だからさっきから笑顔だったのですね。どおりでニコニコするわけだ。

午後一時二十六分、函館駅着。食料や飲み物を買うため一旦、外へ。
一時間ほどして駅に戻り、木古内行きの電車に乗る。午後三時五十分、木古内駅着。ちなみに次の停車駅は青森県の蟹田駅。そう、いよいよ北海道ともお別れなのです。
本州へ渡るためには、当然、青函トンネルを通らなければならない。ところが、青函トンネルには特急列車しか走っていない。普通列車は走っていないのだ。じゃあ、18きっぷのわたしはどうすればいいわけ?
そうなんです。それを知って、わたしもすっかり困ってしまった。というわけで、駅員に訊く。
「うーん、残念ですがこれじゃあ青函トンネルは通れないですね。18きっぷは普通列車しか乗れないですからね。申し訳ないですが船かなにかで本州に渡ってください」
ええ!マジで?わたしはすっかり途方に暮れてしまった。ここまで来て渡れないなんて。そんなことがあっていいのだろうか。
というのは冗談。さすがに18きっぷで通れないことはなく、特例として木古内―蟹田間は特急列車に乗車していいそうです。
なーんだ。そうだったのか。ホッとした。
それにしても、ラッキーじゃん。だって、18きっぷで特急に乗れるんだよ。こんな機会はめったにない。これでちょっとは優雅な気分が味わえるかも。
しかし、そうも喜んではいられなかった。というのも、蟹田で降り損なうとその瞬間、木古内からの特急料金が発生して、乗った分だけ乗車賃を徴収されるというのだ。うーん、そう簡単にはゆっくりくつろがせてもらえないのか。
ホームに降り、特急列車が来るのを待つ。十分ほどするとやってきた。どうせ座れないだろうと思い、最後に乗り込む。まあ、いいんですよ、自転車さえ置ければ。ぜいたく言いません。しかし、車内に入ると意外にもポツポツと席が空いていた。おお、ラッキー。隣の人に軽く会釈をして腰を下ろす。
いやー、それにしても楽しみ。だって、これから海の中を通るんですよ。そう考えただけでテンションが上がるじゃないですか。実は、帰りに電車を選んだのも、青函トンネルを通りたかったということが理由の一つだったのだ。
「もうすぐ、青函トンネルに入ります」ゆったりとしたアナウンスが車内に流れる。おお、いよいよ青函トンネル。いやがおうが上にも気持ちが高まる。しばらくすると、列車は轟音とともにトンネルの中へ。いやー、すごいなあ。いよいよ海を通るんだあ。窓の外を見ながら気分は最高潮。
……ん?しばらくしてあることに気がつく。窓から見えるのが暗闇ばかりなのだ。延々、この景色が続いているのである。
おいおい、これじゃあ海を通っているのかどうかわかりゃしないじゃないか。と言いながらすぐに思いつく。そりゃそうだ。列車が泳いで海を渡っていくわけではない。海の中とはいえトンネルを通っていくのである。まあ、少し考えればわかりそうなことなのだが、興奮しすぎてそこまで考えが及ばなかったのだ。
面白いこともあった。自動ドア上部に細長い電光掲示板があるのだが、トンネルに入ると、そこにトンネルと電車の図が表示され、現在位置を教えてくれるのである。しかも、車内アナウンスでの音声ガイドつき。やけに親切でちょっと嬉しくなる。これも乗客を増やそうというJRの営業努力か。
「まもなく蟹田」というアナウンスで席を立つ。ここで降りないと特急料金を請求されるので、早目の行動というわけ。意地でも降りてやるー。

蟹田から再び普通列車に乗り、午後六時十一分、青森駅着。
登山のおじさんとはここでお別れ。青森のホテルで泊まるそうです。一方、わたしの旅はまだまだ続く。どんどん行きまっせー。
でも、次の大館行きまでは二時間ほどの待ち時間。というわけで、ここでも外へ。青森はすでに夕暮れを迎えていた。
「二時間ほどで観光できそうな場所がないですか?」観光案内所で訊く。観光用の八甲田丸や観光物産館を勧められた。
まずは八甲田丸へ。おお。なかなか立派な船。早速、船室へ。が、すでに閉まっていた。開館時間は午後六時まででした。仕方ないので外をウロウロ。階段があったので上がってみる。甲板ではビアガーデンをやっていた。
人少ねー。そこでは、仕事帰りらしきサラリーマンが五、六人飲んでいるだけだった。青森ではもうシーズンは終わっちゃったのか。なんだが秋の訪れを感じてしまった。
青森ベイブリッジというどこかで聞いたような名前の橋を渡り、観光物産館アスパムへ。巨大な三角チーズのような建物にちょっとギョッとする。とりあえず中へ。しかし、お土産物屋をはじめ、どこもかしこも閉まっていた。あーあ、つまんねー。
階段下の広場にある椅子に腰掛ける。へー。津軽三味線か。壁には、津軽三味線の生演奏の告知ポスターが貼ってあった。いいなあ、津軽三味線。しかも、生。聞いてみたい。実はわたし、津軽三味線が好きなのです。あの音色が鳴ると耳が、いや心が奪われちゃうのです。早弾きなんてやられたらもう昇天しちゃいそう。そんなことを考えているとだんだん気持ちが抑えられなくなってきた。
三味線聴きてぇーよー。
しかし残念。開催は明日の昼間でした。うわー、マジかよー。でも、やっぱり聴きたいなあ・・・。
なんならここで一泊していく?そうだ。それもいい。なにも急いで帰らないといけない理由はない。ついでに田沢湖や十和田湖も周ってみるか。おお、なんていいアイディア!
とも思ったが、「果たして18きっぷでどこまで行けるのか」それもやってみたいしなあ。ここで泊まってしまったらその挑戦が終わってしまう。それに、もう家に帰ると決めたのだ。今さら変更するのも面倒くさい。やっぱり、よそう。このまま行けるとこまで行こう。
続いて、駅前の繁華街を歩く。驚いた。いや、思っていたより賑やかなのである。駅から伸びる道の両側にはたくさんのお店。それがずーっと続いている。
「青森=田舎」わたしの中ではそんなイメージがあった。でも、実際来てみたらそんなことはなかった。けっこうな都会なのである。わたくし、青森を見くびっておりました。
さて、なにしよう。電車まではまだ時間があるし・・・・・・やはりわたしの場合、図書館でしょうか。
さっき観光案内所でもらった地図で、図書館を探す。するとすぐ近くにあった。早速、行く。
驚いた。なんと商業ビルの中に図書館が入っていたのだ。こんなのはじめて。もしかしたら都会ではこれが当たり前なのかも。ますます青森を見直してしまった。
図書館の中に入り、さらに驚く。広くて実に綺麗なのだ。しかも、かなり遅い時間まで開いているよう。おまけにDVDも充実している。すごいな、ここ。三日くらいは時間を潰せそうだ。ここに来るためだけに青森に来たくなった。今度青森に来たら、ここでゆっくりすることにしよう。
午後八時二十六分、青森駅を出発。残りの乗り換えは大館での一回のみ。まだまだ先へ行きたいところではあるが、あいにく今日の最終は秋田まで。ちなみに到着予定時刻が午前一時十二分ですって。あはは。さすがにこりゃすごい。
この頃になると眠気が尋常じゃなくなってきてきた。そりゃそうだ。昨日は一睡もしなかったんだもん。座席に座ると、すぐに睡魔が襲ってくる。時々目を覚ますが、すぐに睡魔がおいでおいでと手招きをしてくる。秋田まではずっとこの繰り返し。というわけで道中のことは憶えてない。なので書けることもありません。

真っ暗闇の中、秋田駅に到着。着いたということは、おそらく一時を過ぎたということなんでしょう。自転車と荷物とともにゆっくりホームに降りる。ベンチで一夜を明かそうと思ったが、あいにく駅は閉まるらしく、すぐに追い出される。まあ、しゃーない。どこか外で寝るところを探そう。改札を抜けると、すぐ目の前が大きな通路だった。前を見れば壁、上には天井。なにやらここは大きな建物の中らしい。通路には等間隔にベンチがある。しかし、円形になっているためその上では寝れない。仕方ないので通路の壁際にマットを敷いてその上に横になる。寒くはなくなかったが、なにか物寂しかったので寝袋を掛け布団代わりにする。時々、わたしの顔の横を人の足が通り過ぎていく。でも、気にしない。どうせ四時間後には起きているのだ。そうなのです。明日は午前五時四十九分発の電車に乗るのです。
でも、そんな朝早くてもちっとも嫌な気がしない。むしろ楽しみなくらいだ。なんかすごいことにチャレンジしているみたいで自然とテンションが上がってくるのです。そんなことを考えていると、またしても睡魔がやってきた。寝坊しないようにとケータイのアラームをセット。えーと、五時半くらいでいいかな。今回の旅もいよいよ明日の帰宅をもって終わりを迎える。北海道滞在一ヶ月ちょっと。長かったような短かったような。でも、不思議なことに寂しさは感じない。やりたいことをやったという満足感。それと、そのうちまた来るのではないかというと根拠のない期待感。そんなことが心の大部分を占めている。
そっと目を瞑る。明日の天気はどうかな。晴れるといいけど。でも暑かったら嫌だなあ。そんなことを考える。人の気配はまったくしない。さすがにこんな時間では通る人はいないか。徐々に意識が薄らいでいく。寝坊しないようにと自分に言い聞かせる。朝一で電車に乗らないといけないからね。そう、旅はまだまだ終わらない。 ―完―
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2010年8月18日(水) カップ焼きそばにしみじみ (苫小牧 15km)
午前七時起床。仕事に行くSさんと一緒にアパートを出る。ありがたいことに適当な場所まで送ってもらうことになった。
朝の苫小牧を走る。道は広くて綺麗。通勤時間帯ではあるが車はスムーズに流れている。
「この道路は最近できたばかりでこの辺りもずいぶん景色が変わってしまってね」相変わらずの爽やかさでSさんは言う。
窓から外を見る。苫小牧の街は整然として綺麗だが、見える景色はどれも画一的でどこか味気ない。
今度は目の焦点を空に合わせる。雲一つない見事な青空だ。太陽の眩しさにちょっと目が眩む。今日も暑くなりそうだな。心の中で一人呟いた。
図書館脇の駐車場で降ろしてもらうことに。いやー、本当にお世話になりました。どうもありがとうございました。
いつかまた会える日を約束して固く握手。車が見えなくなるまで手を振り続けた。そしてもう一度、心の中で叫んだ。ありがとうございましたー!
さあってと、感傷タイムはこれくらいにして。いつまでも湿っぽくしていても仕方ないしね。切り替え、切り替え。
時刻は午前八時。さて、これからなにしようか。とりあえず図書館でゆっくりしようかね。
すぐ目の前にある図書館へ。が、九時半開館。残念。まっ、こんなに早くやっているわけないと思っていましたが。
それじゃあ洗濯。支笏湖へ行く途中に見かけたコインランドリーへ向かう。十分ほど走り、到着。
今日は、これをしなければならないとか、ここまで走られなければならないとか、そういったことがまったくない。今日一日つつがなく終えることができればそれでいい。
そんなことを考えていると、なにか心がとても落ち着いてくる。実は幸せってこんなとこにあるのかもしれない。
♪しあわ~せはこんなとこにある~
え?どうしたの?いきなり歌い出しちゃって。
いやね、今、そのまんまのフレーズを思い出したんですよ。ちなみにこれ、スマップの「Peace!」という曲です。
しかし、そんな幸せを感じる一方、軽く罪悪感を覚える自分もいた。だって、今までずっと走ってきたんですよ。どれだけ走ったか、そのことに価値を置いてきたんですよ。それが急に走らなくていいとなったら本当にこれでいいのだろうか。自分は何か損をしているのではないだろうか、無駄な時間をすごしているのではないだろうか。そんな風に考えてしまったのです。冷静に考えれば、一日くらい走らなくてもどうってことないのにね。
どうやらわたしはまだ、「ことさら結果を重視する」そんな癖が抜けてないようである。これを直すには、しばらく時間がかかりそうだ。
順調に洗濯、乾燥を終える。北海道に来てから何回洗濯しただろうか…函館、余市、札幌、稚内、網走、ウトロ、弟子屈、根室、釧路、新ひだか、旭川、そして今日。意外にもすべて思い出せたことに驚く。走ってばかりいたとはいえ、それほど今回の旅は印象に残ったということなのか。そう考えれば、有意義の時間を過ごしたと言えなくもない。なんだかんだいって、やっぱり来てよかった。
さすがにこれだけ洗濯をやれば慣れた。どこへ行っても、置いてある機械は一度は使ったことのあるもの。初めの頃と違って戸惑うことはもうない。
大きなテーブルの上で洗濯物をたたんでいると、年配のご夫婦が入ってきた。
「おはようございまーす」
明るく愛想のいい挨拶にちょっと驚く。つられてこちらも笑顔で挨拶。
「あれ?どこに入れればいいんだ?」
「お金はどこから入れるんだ?」
「あっ、こっちは乾燥機か?」
チラッと目をやると、ご夫婦揃って右往左往している。どうやらコインランドリーの使い方に慣れてない模様。暇だったこともあり、「このくらいだったら十キロ用でいいんじゃないでしょうか」「両替機ならここにありますよ」などといろいろ教えてあげる。すると、抱きつかれんばかりに感謝された。お礼にパンまでくれた。
いやー、そんなに感謝されるとは。なんか恐縮してしまいますよ。だって、暇だから教えただけなんですよ。言い方は悪いが、暇つぶしで教えてあげたようなもんなんですから。
神奈川からやってきたというこのご夫婦、車中泊しながら北海道を回っているそう。コインランドリーを使うのは今日が初めてだそうです。なるほど。だから戸惑っていたんですね。
わたしもはじめはそうだった。函館で最初に洗濯した時は使い方がまったく分からず五分くらい説明書を凝視していた。一回分ってずいぶんお金がかかるもんだあと驚いたりもした。
お二人としばし雑談。話が弾む。お互い旅行者のためかすぐに打ち解けることができた。
こんな風に、もっといろいろな人と話しておけばよかった。今さらながらに思う。特に前半は、人から話しかけられるのを避けていた。人と話すなんて時間の無駄だと思っていた。話が長くなると、「早く終わんないかなー」そればかり考えていた。
でも、こうやって話していると楽しい。振り返ってみれば、心に残っているのは、壮大な景色はもちろんだが、それ以上にいろいろな人との出会い、過ごした時間だった。
さて、洗濯物もたたんだし、そろそろ行きましょうか。
と思ったが、これから何をすればいいわけ?相変わらずまったく思いつかないわたしなのである。うーん、予定に縛られないっていうのもいいのだが、まったくないというのも困りもん。
というわけで、引き続きお二人とお話することに。すいません、暇つぶしです。
「ここの道の駅はきれいですよ」
「神威岬は是非行ってください」
「知床も絶対です」
エラそうにいろいろアドバイスする。またもやご夫婦、感謝感激。今度はお菓子をくれた。
いや、だから単に暇つぶしで言っているだけで…そんなに感謝されると恐縮して……まあ、いっか。わたしにとっては単なる暇つぶしでも、このご夫婦には有益な情報なのだ。それに、わたしも楽しいし。もういい。深く考えるのはよそう。
話をしながら、なんとなく外を眺める。視線の先に、一台のキャンピングカーが停まった。ん?なんだこりゃ。いやね、そのキャンピングカー、普通のよりもかなり大きく、しかもデコトラ仕様かなんなのかとっても派手なんですよ。
ちょっと興味を覚えたのでしばし観察することに。しばらくすると、運転席から一人のおばさんが降りてきた。顔は朝青龍、体は小錦といった感じで実に迫力満点。金色ラメ入りの黒い服の上では、蛇のような文様が踊っている。
「車は乗り主に似る」のかなんなのか。「傍若無人」という言葉が実に似合いそうな女性である。
見ると、そのままこっちに向かってくる。どうやら洗濯しにくる模様。
「うわっ、こっちに来るんじゃねえ」その威圧感にちょっとのけぞるが、構わず中へ入ってくる。歩く度にズシンズシンと音がしそう。
おばさんは洗濯機に近づき、ぞんざいにドアを開けると、その中にタオルやら服を投げこみ始めた。その姿は、「洗濯当番の相撲取り」にしか見えない。
あまりの迫力に内心ビビる。おばさんは洗濯物を入れ終わると椅子に腰掛け、置いてある雑誌を読み始めた。可哀想な椅子。つぶれないか冷や冷やする。
それにしても嫌だなあ。早く出てってくんないかなあ。だってなにか気に障ることでもしたら、張り手の一つや二つ飛んできそうなんだもん。
なんてことを考えていると、一瞬目が合いそうになる。
うわっ。あぶねー。「何見てんだよ」なんてイチャモンでもつけられたらかなわん。
目を合わせないようにご夫婦と話を続ける。しばらくすると、突然、明後日の方向から声がした。
「あー、それだったら帯広もいいよ」
見ると相撲取り、じゃなくて件のおばさんだった。どうやらわたしたちの会話を聞いていたよう。
「帯広はいいよ。後、食事だったら○○と○○に行くといい。あそこの豚丼は絶品」
その後もいろいろおススメの場所を教えてくれる。ご夫婦の質問にも実に丁寧に答えてくれる。
「お兄さん、これあげるよ」
わたしにはかりんとをくれた。
考え過ぎでした。実にお優しいご婦人でありました。みなさん、人は見た目で判断しちゃいけません。
なんでもこのおばさん、夏になると毎年北海道に来るという筋金入りの北海道フリークだそう。
というわけで、今度は四人でお話。コインランドリーはいつの間にか井戸端会議場にヘンシン。
結局、十二時過ぎまで話しこんでしまった。
「コインランドリーで雑談三時間」
実に貴重な体験をしてしまった。わが人生で二度とないかも。

図書館へ向かう。空はピーカン。抜けるような青空だ。
それにしても暑い。日射しも強い。何度も書いて申し訳ないが、ここは本当に北海道か?まったく北海道に来たという感じがしない。
ところで内地はもっと暑いんでしょ。連日ニュースで騒いでいるし。いきなり帰って大丈夫だろうか。内地に渡った途端、バタッと倒れたりしないだろうか。本気で心配してしまう。
図書館で、雑誌を読んだりネットをして過ごす。
午後一時過ぎ、セブンイレブンで「でっかいやきそば弁当」を買って食べる。
これ、北海道に来てから何回食べただろう。旅の後半の昼食は、ほとんどこれだったもんなあ。ということは、ざっくり言って二十回くらいか。たまに食べない日もあったが、そうするとなにか不思議と物足りなく感じる。これを食べないと一日が終わった気がしないのだ。
そんなに食べるということは、よっぽど好きなんですか?
いいえ、そうでもありません。
しょっちゅう食べていたのは、そのコストパフォーマンスの高さから。二百円ちょっとで千キロ以上のカロリーが摂れるという優れものなのです。
やはり毎日長距離を走るのでたくさん食べないと体がもたないのです。かといって、できるだけ食事にはお金をかけたくない。そんな時に見つけたのがこれ。たしか江差のコンビニで食べたのが最初だったと記憶しております。
そんなわたくし御用達のカップ焼きそばであるが、つい最近、残念なことを知ってしまった。どうやらこれ、北海道限定らしいのだ。ということは、北海道を離れればもう食べることはできない。もしかしたら食べるのも今日が最後かも。そう考えるとなにかしみじみとしてくる。
一人、カップ焼きそばを食べながら感傷に浸る。まったくもって絵になりませんな。
さて、一時半。何しよう。ふーっ、困った。というか、暑いのでどこかで涼みたいところ。
長居できそうな場所を探して、苫小牧の街を走る。しばらくすると、一軒の古本屋が目に留まった。
「あっ、そうだ。本を買おう」突然思いついた。
実はわたし、帰りは船ではなく電車で帰ろうと思っているのです。今は夏休みの真っ最中、北海道に来る時よりも船の料金が上がっている。それなら、18きっぷ(期間限定切符。二千二百五十円で普通列車が一日乗り放題)を使って帰った方が安い。そう思ったのです。
とはいえ、普通列車。さすがに一日では帰れない。二日はかかってしまう。死ぬほど暇をもてあますと思い、本でも読んで時間を埋めようと思った次第。
店内に入って物色開始。お金を節約したいので一番安い八十八円の文庫本コーナーから五冊を選ぶ。しめて四百四十円なり。うへっ、安い。新刊一冊分の値段じゃん。
その後、ユニクロ、ハードオフを意味もなく回り、Sさんと出会ったイオンへ行く。
その中にあるベンチの一つに腰かけ、溜まっていた日記を書く。飽きたら店内を回ったり、雑誌を立ち読みしたりして気分転換をはかる。何回かそれを繰り返していると、時刻は午後七時近くになっていた。
夏の終わりを一番感じるのはどういった時か。もちろん風が冷たくなった、そういった時にも感じるのだが、個人的には日の短さを実感した、その時に一番強く感じる。
北海道を走り始めたときはまだ七月。夜の七時でもまだ日が残っていた。でも、今はすっかり日が落ちている。いよいよ明日には北海道を離れる。夏の終わりと旅の終わりが重なって、なにか一層、寂しさが募ってくる。
なんだか今日は感傷に浸ってばっかりだ。

銭湯を目指し、暗くなった道を走る。北海道でお風呂に入るのも今日が最後だ。
地元のおじさんらしき人が湯船に浸かっていた。ちょっと話しかけてみる。
「わたし、自転車で北海道を一周したんですよー」
やや自慢げに言うと、おじさんは目をまん丸にして驚いていた。
まあ、そりゃそうかもね。普通の人から見たらきっとすごいことなんでしょうね。
おじさんと話している中、印象に残った言葉があった。
「けっこう辛かったことの方が心に残っているもんなんだよね」
そう。そうなんです。まさしくそうなんです。
もちろん楽しかったことや嬉しかったこともしっかりと心に残っている。しかし、不思議と鮮やかに蘇ってくるのは、辛かったり、怖かったり、苦しかったことばかり。
ノシャップ岬の暴風雨、枝幸の雷雨、新ひだかの台風。どれも強く自分の心に刻まれている。今思い出しても背筋が寒くなる。あれは単なる怖さというより「死の恐怖」だった。ほんと、マジで死ぬかと思ったもんなあ。
お風呂から上がり、セブンイレブンなどで時間を潰し、午後九時、ネットカフェへ。
今晩は雨の心配もなく、街中にもいくつか寝床に適した場所があったのだが、最後の夜くらいは豪勢にいこうと思ったのです。まあ、単にネットがやりたかっただけなんですけどね。
2010年8月17日(火) え?札幌?今さら札幌?なんでまた行くの? (美瑛―富良野 56km)
午前四時起床。考えてみれば、三日ぶりにいつもの起床時間。うーん、なんかしっくりくる。どうやらわたしには早起きが合っているよう。
寝袋から這い出す。出発の準備をし終え、少年のテントに行く。しかし、物音一つしない。なんだ、まだ寝ているのか。ケータイを見る。時刻は六時過ぎ。わたしとしてはもう出発したいところではありますが。
少年を起こそうか。一瞬そう思ったが、熟睡中だったら悪いなあ、と思い直す。こう見えても意外と気ぃ遣いなんです。
テントの周りをウロウロする。軽くテントをつついてみる。気づいて起きてこないかなあ。でも反応なし。
「もう、早く起きろよ」そんな声をかけるほど図々しくも勇気もないので、代わりに「起きろ。起きろ」と心の中で念じる。でも反応なし。
ふたたびケータイを見る。時刻は六時半だった。
はーっ。もうだめ。ギブアップ。これ以上は待てない。
諦めて、少年を起こすことに。テントをこれ以上ないくらい揺らしてみる。わたし、気ぃ遣いと言いながら、やる時はやるのです。
「もう起きていますよ」テントの中からちょっと眠そうな声が聞こえてきた。
なーんだ、もう起きていたのかよ。
「何時に出発する?」当然、すぐに出発するだろうという答えを期待して訊いてみた。
「えーと、十時頃ですかねぇ」テントから顔を覗かせた少年は目をこすりながら答えた。
ええ!十時?だって、まだ六時半だぜ。十時っていったら後三時間以上もあるじゃんかよ。ねぇねぇ、いくらなんでも十時っていうのは遅すぎやしないかい。
しかし、そんなわたしの心の声なんか聞こえるわけもなく、少年はさらに言葉をつなげてくる。
「昨日はよく眠れなかったんですよー」
あー、そうなのか。そういうことなのか。
「早く出発しようぜ」喉元まで出かかったその言葉が、それを聞いた途端、喉の奥へと引っ込む。
しょうがないよなあ。そういうことなら。さすがに寝不足の人間に早く行こうとは言えない。わたしだってそこまでひどい人間じゃない。
まあでも、そうすると十時まで待たないといけないんだよね。うーん、困ったなあ。
わたしが待てばいいだけの話なのであるが、残念なことに、わたしは待つということが何よりも苦手な人間なのである。
はーっ。十時か・・・。一時間くらいならいいが、さすがに三時間以上待つとなると……。
結論。誠に残念ではありますが、少年とはここでお別れをすることに。
まー、いっか。どっちみち一緒にいられるのは今日一日だけだし。少年は引き続きこのまま北海道を走るが、わたしは一応、今日で終了なのです。
でも、寂しいよなあ。なんだかんだいってけっこう一緒にいたわけだし。
とはいえ、別れはいつか来るもの。それが早いか遅いかの違いだけ。そう自分に言い聞かせる。
正直、少年にはとてもお世話になった。というか、少年と一緒に過ごしたおかげで今回の旅は楽しくなった。これは間違いのないところ。
テントの中の少年と固く握手を交わす。「ほんと、ありがとなー」そう言い残して、自転車に跨り、漕ぎ始める。後ろは振り返らない。少年の顔を見てしまうと泣いてしまうと思ったからだ。前だけをじっと見てペダルを回す。キャンプ場を出る。とたんに眼の中が潤む。鼻水も出そうになる。胸も苦しい。はーっ。思わずため息。
「ありがとう」
ゆっくりと自転車を漕ぎながら、心の中に映った少年にもう一度深く礼を言った。

一人になった寂しさをかき消すかのように一心不乱に坂を上る。ふと顔を上げる。おお、すごい。そこには絵に描いたような青空が広がっていた。いやー、気持ちいいねー。おかげで沈んでいたテンションがやや持ち直す。続いて横に目をやる。わーお。すげー。なんと木々の間から幾筋もの光が矢のように放たれていたのだ。こりゃすごい。神々しいにもほどがあるぜ。心なしか回す足も軽くなったよう。
あっ、そうだ。一応、これからのルートを確認しておこう。自転車を道の脇に停め、地図で富良野へと抜けるルートを調べる。
うわ!マジかよー。なんとここからけっこうな上り坂が続くようなのだ。
おいおい、なんだよー。当分上りかよー。せっかくいい気分で上っていたのにー。さっきまで上がっていたテンションも一気に急降下。徐々にどんよりしたものが心の中に広がっていく。
なんか上る気しねー。とたんに不機嫌になるわたし。まるで子供である。
まあでも、仕方ない。しっかり現実を受け止めて、地道に上っていくしかないよね。これは人生と同じだ。などと大げさなことを考えたりする。
視線を落とし、一つ一つ確実にペダルを回していく。三キロほど上っただろうか、前方に目をやると、突如、道が切れていた。のではなく、そう見えただけ。どうもその先は道が下っている模様。
あれ?もう下り?おかしいよなあ。地図によればまだしばらくは上りが続くはず。でも、道は下っている。もしかして道、間違えたか?そんな不安が徐々に心の中に広がっていく。
あっ、そっか。わかった。きっと、少し下って、またすぐに上りになるのだろう。きっとそうだ。そう思い、下っていく。でも、坂は一向に上りになる気配はなく、むしろ急に。
おいおい、大丈夫か。間違っているんじゃないか。そうは思うが、同時に楽しい気持ちも湧き起こっていた。スピードが出ていて気持ちいいのだ。
うわー、なんかすげーおもしれー。道が間違っているかなんてどうでもよくなってきた。気がつけばタイヤがものすごい勢いで回っている。チラっとサイコンを見る。フンギャ。なんといつの間にか時速は五十キロオーバー。楽しい。というよりコワイかも。とも思うのだがこのスリルには勝てない。ここでコケたら間違いなく死ぬだろう。そうは思ってもブレーキはかけない。だって面白いんだもん。死んだらその時まで、と自分に言い聞かせる。自転車はさらに加速。ふたたびサイコンを見る。ぎょえー。なんと六十四キロを表示。おー、わが自転車人生で最高記録を更新。
道はほどなくして緩やかな下り坂に。少し走ると、いつしか三叉路になった。
おもむろに自転車を停める。ええっと、どっちに行けばいいのだ?そうなんです。道に迷っちゃったんです。
あー、困った。全然わからんわ。とりあえず地図を取り出して確認。しかし、上下左右どこをどう見ようとわからない。
うーん、どうしよう。頭を抱え込むわたし。すると、目の前から一人の年配の女性が歩いてきた。
おお、ラッキー。ツイてる。よし、この人に訊こう。早速、その女性を捕まえて富良野へ抜ける道を訊いてみる。ふむふむ。なるほど。右の道へ行けばいいわけだね。
あぶね、あぶね。訊いてよかったわ。実はわたし、違う道を行こうとしたのですよ。
女性にお礼を言い、教えてもらった道を行く。いくつか小さなアップダウンを過ぎると、道はゆるやかな下り坂に。そのまましばらく走ると、目の前が開け、小さな町並が見えてきた。

薄く朝もやがかかった街中を軽く流す。案内標識に上富良野駅と出ていたのでなんとなく寄ってみることに。
駅前に自転車を停め、トイレに行く。トイレから戻り、ガイドックを眺めていると、ふとあるところに目が留まった。なんでもこの近くにラベンダー発祥の地と言われている日の出公園というものがあるらしい。しかもそこではラベンダーの花が一面に広がっていて素晴らしい景色が見えるそうなのです。
ほー、そうなんですか。それは知りませんでした。それじゃあ寄ってみますか。富良野っていったらラベンダーだしね。
しばらく走り、日の出公園の麓に到着。駐車場に自転車を停め、小高い丘にある公園へ。どんだけすごいんだろうと期待に胸を膨らませて階段を駆け上がった。
わーお。見事にラベンダーは終わっていました。
「七月中旬が見頃」ガイドブックにはそう書いてあったが、一ヶ月くらいは大丈夫だろうと思って来てみた。でも、甘かった。ラベンダーのラの字もなかった。
まあ、いいけどね。どうせ花になんか興味がないし。公園のベンチに腰を下ろし、再びガイドブックに目をやると、ある箇所に目が留まった。なんでもここから少し行ったところに、これまたラベンダーで有名なファーム富田というものがあるらしいのだ。
行ってみますか。やっぱりできれば見たいというのが本音。すいません、さっき興味がないと言ったのは強がりです。
とはいえ、ここ同様、咲いていないかもしれない。いや、待て待て。もしかしたらなにかの間違いで咲いているなんてことも・・・・・・。
そんなことありませんでした。行ってみたら見事にここも全滅。咲いているはずの場所には気持ちのいいくらいの枯れ草が広がっていた。
仕方ないので他の花を見て慰めることに。まあね、綺麗っちゃ綺麗だけどね。でもね、やっぱりラベンダーが見たかったよ、わたしは。
ところで、ここで驚いたことがあった。やたらめったら中国人が多いのだ。歩いていても聞こえてくるのは中国語ばかり。ファーファーファーファー(そう聞こえる)。うるさいったらありゃしない。九対一くらいの割合で中国人が多いのでは。「ここは中国か?」そう錯覚してしまうほどなのだ。
函館山に続き、ここ富良野も中国人に侵略されているのか。個人的に恨みもなにもないが、さすがにこんだけ多いとちょっとゲンナリする(後で知るのだが、なんでも中国では北海道を舞台にした映画が大ヒットしたそう。それで中国人が大挙して押し寄せて来てるわけですな)。

ファーム富田を後にし、トコトコ走っていると、大学の自転車サークルと思しき集団とすれ違った。
今日走っていて一番驚いたのが、こういった集団を多く見かけたこと。
今までなら一日一組見かければいい方だった。しかし今日はまだ昼前だというのに、すでに五組ほど目にしている。それこそ信号待ちをしていると、あちらこちらから湧いてくるから驚いた。
うーん、富良野は自転車サークルの聖地かなんなのか。謎である。
なんてことを思っていると、またしてもそれらしき集団がわたしの前に現れた。ゆるやかなカーブに差し掛かったところですばやくチェック。男性三人女性二人の集団だ。自然と彼らの後方について走る形に。しばらく走っていると、ふとあることに気がつく。
なんかこの人たち、さっきも見たような気がするんだけど、気のせい・・・・・・?いや、違う。たしかに見た。間違いない。しかもこれで三回目だ。男性の方はまったく記憶にないが、女性の顔は網膜に焼きつくくらいはっきり覚えている。
話しかけようかどうか迷う。
いやね、一人で走っているなら問題ないのですが、集団だと、なんかこう内輪だけで世界が出来上がっていて、こっちが話しかけてもあまり話に乗ってこないのではないか。そんな気がするんですよ。
「こんにちは!」と声をかける。すると不審者を見るような顔で「は・・・?」という言葉が返ってきた。
なんてことにでもなったら、しばらくショックで立ち直れないだろうなあ。
でもなぁ・・・。一度や二度ならまだしも、三回も会うっていうことはこれもなにかの縁(そう思いたい)。それに向こうだって、わたしの顔を覚えているだろうし。このまま無言で追い越していくのもなにか失礼なことをしているようで気が引ける。
じゃあ、声をかけてみる?
いやでも、どうだろう・・・素っ気ない態度をされたらやはりショックだし・・・。
うーん、困った。話しかけてちゃんと言葉を返してくれればいいのだが、そうしてくれるという保証はどこにもない。かといって無言で通り過ぎるのはやはり悪い気がする。
なにか考えているだけで疲れてきた。うーん、どうすればいいのかわたしは・・・。
どうだっていいよ、そんなこと。
そう、どうでもいいのである。相手からしたらそんなこと、どうでもいいのである。だいたい人間なんて一番関心があるのは自分のこと。他人のことなんて大して気にしちゃいない。
それはよくわかっている。頭ではそうだとわかっている。言葉でもちゃんとこうやって言い表せることができる。しかし、そこまでわかっていても、わたしは普段からこんなどうでもいいことを深く考えてしまう。
まったくやっかいな自分、である。
えーい、もうどっちでもいいや。話しかけようが、黙って通り過ぎようが大差ない。それだったら話しかけてみよう。無視されたらその時はその時だ。
わたしは意を決し、一番後ろを走っていた青年に声をかけた。
「こんにちは。大学のサークルかなんかで来ているんですか?」
「はい、そうです!静岡の大学です!」
考え過ぎでした。実に礼儀正しい学生でした。
なにかこのまま話に付きあってくれそうな感じだったので、しばらく並走して話をすることに。
ところで部員ってどのくらいいるの?
「全部で五十人ほどですかね」
ウッソー!マジで?五十人も!驚いた。まさか今のこの時代、自転車でツーリングする若者がこんなに多いとは!
それにしてもだ、自転車っていつのまにそんなに人気が出ていたんだ?そう思ったが、すぐに思い直す。
というのも、近頃、都市部を中心に自転車ブームが起こっており、職場や学校に自転車で通う自転車ツーキニストなるものが大量増殖しているということを、以前テレビや雑誌で目にしたことがあったからだ。
なんだよねー。今、自転車って人気があるんだよねー。ちなみに現在は、九十年代に流行ったごついマウンテンバイクではなく、スピードの出るロードバイクが人気だそう。なんでもあのフォルムがカッコイイらしい。

このまま真っ直ぐ行くと言う彼らと別れ、ワインの製造工程などが見学できる「ワインハウス」へ向かう。
はじめは「ワインハウス」に寄るつもりはまったくなかった。そのまま富良野を走りきってしまう予定だった。しかし、ガイドブックの「ワイン試飲できます」との文字を見たら気が変わった。
試飲。そう、つまりタダ飲みである。
とくに酒好きでもなんでもないわたしであるが、タダと聞いたらこりゃなんとしても行かなきゃならん。タダを目の前にして通り過ぎるわけにはいかない。
来た道を少し戻る形で山側の道へと入る。十分ほど走ると、こげ茶色したレンガ造りの建物が見えてきた。おそらくこれが「ワインハウス」だろう。よし、もうすぐワインが飲めるぞ。心なしかハンドルを握る手にも力がこもる。ところが、そんなわたしを嘲笑うかのように、突如、急な上り坂が現れた。
うわっ、マジかよ。見上げると、「ワインハウス」まで残り五百メートルほど。
くそー、なんなんだこの坂は。なんで後もう少しなのにこんな急な坂を作ったのか。そう簡単にワインを飲ませないということなのか。意図がわからん。
とにかくこれを乗り越えないとワインは飲めない。がんばる。脚に力をこめてペダルを漕ぐ。が、ダメ。半分も上らないうちに力尽きた。
結局、自転車を降り、そのまま押して上ることに。ぜーぜー言いながらなんとか到着。
自転車を駐車場の脇に停め、「ワイン、ワイン」と呪文のように唱えながら建物に駆け寄る。「順路→」と書かれたプレートのとおりに地下へ降りていく。降りきったところで辺りを見渡す。が、試飲コーナーらしきものはどこにも見当たらない。
え?なんで?なんでないの?そう思いながら歩を進めるが、目につくのは、たくさんの古びた樽や瓶、細かい文字でびっしり書かれた説明パネルばかり。
なるほど、そういうことか。少し考えたら、合点がいった。おそらく試飲だけが独立してあるのではなく、見学コースの一環としてそれが組み込まれているのだろう。つまり、こうしたワインについての展示物やパネルを見ないと試飲ができない、きっとそういうシステムなのだ。
このままスルーしちゃおっかなあ。
とっさに思った。いや、でもなあ。そうすると周りの人はわたしのことをどう思うだろう。
「いやねー、あの人。まったく見ないでそのまま通り過ぎていくつもりよ。きっと試飲が目当てなんだわ」
そう思うのではなかろうか。
うーん、困る。それは困る。まさにそのとおりだけに、逆にそう思われたくない。でも、こんなところはさっさと通り過ぎたい。一刻も早くワインが飲みたい。だって、ワインを飲むために来たんだし。とはいえ、やはり変な目で見られたくはない。
うーん、どうすれば……。
またしてもどうでもいいことに引っかかるわたし。何もしていないのにどっと疲れが出る。まったくもー、またこのパターンかよ。われながらほんと嫌になる。
ま、いいや。とりあえず形だけでもパネルを読んだことにしておこう。そうすれば周りの人もわたしのことを見逃してくれるだろう。そう思い、すぐそばにあるパネルに目をやる。が、一行で挫折。まじめくさったことが書いてあって全然面白くないのである。
ふんっ。もういいや。どう思われようと構うもんか。結局、そのまま通り過ぎることにした。
とはいえ、正直気になる。周りはわたしのことをどう思っていたのだろう。やはり試飲目当ての人だと思ったのだろうか。
「順路→」に従い、一階を見学、続いて二階へと上がる。
あった。ワインがあった。試飲できるワイン樽がそこにはあった。しかも気前よく赤、白、ロゼの三つだ。
わーお。一気にテンションが上がる。おれはこれを待っていたんだぜ。すぐにワインを頂く。当然、三種類。おいちー。でも、どうおいしいのかなんて訊かないで。人に語れるほどワインは飲んだことがないのよ。
隣には、ぶどうジュースの試飲コーナーもあった。当然、こちらも頂く。
うわっ。うまっ。なんだよこれ。メチャクチャうまいじゃん。一口飲んだら、ぶどうが口の中ではじけた。味が濃いというか、中身がつまっているというか。まったく加工されている感じがしないのだ。横を見ると、「百パーセント絞りたて。防腐剤が一切入っておりません」と書いてあった。そうなのだ。こっちが本物、本当の味なのだ。
今までわたしは、ぶどうジュースといえばスーパーなどで売っているものしか飲んだことがなかった。自分の中ではその味がぶどうジュースという認識だった。でも、違った。今まで飲んできたのは全部ニセモノ。本物はこっち、これなのだ。
すいません、ちょっと興奮してしまいました。

「ワインハウス」を後にし、富良野駅へと向かう。富良野から札幌まで輪行しようという計画なのである。
え?札幌?今さら札幌?なんでまた?
そう思ったそこのあなた。あーあ、野暮なことを訊いちゃったね。
実はですね。ほら、はじめて札幌に行った時があったじゃない。その時、観光案内所のスタッフに宮崎あおいに似た人がいたっていうのを覚えている?そう、わたしがほのかに恋心を抱いた人。その人に自分の思いを告げに行こうかなあと思っているのですよ。
えー!っていうことはなに?告白?え?マジ?…・・・でも、大丈夫?
・・・・・・うーん、どうなんでしょう。うまくいくかどうかはわからないです。というか、結果は二の次というか。まあ、どうでもいいんですよね、ある意味。
ただ、自分の思いを言いたいだけなんですよ。正直、その後のことは考えていないです。
なーんて言っても、うまくいくことに越したことはない。でも、うまくいったらどうなるんだろう。そうしたらやっぱり遠距離恋愛になるのかなあ。でも、そんなことおれにできるのか。遠距離恋愛ってしたことないし。それに北海道はあまりにも遠い。そうなると、しばらくはメールのやりとりになるのか。それで三ヶ月に一回ぐらい会ったりしてね。
まだ結果も出てないうちにあれこれ考える。想像だけなら無限大。
ところで、問題なのは彼女に会えるかどうかということ。観光案内所が開いているのがおそらく午後四時まで。ちなみに今は、午前十一時を少し過ぎたところ。そうすると残り後五時間。さて間に合うのか?駅員に訊いてみる。
「すいません。札幌まで行きたいんですけど。次の電車は何時ですかね」
「えーと、ちょっと待ってください」駅員が時刻表に目を落とす。「十一時四十分になりますね」
おお、ツイてるじゃん。輪行にかかる時間も入れればちょうどいい時間だ。しかも札幌まで三時間ほどで行けるとのこと。とすると、遅くても三時前には着ける。ということはつまり・・・・・・そう、彼女に会える。
「会える」、そう思っただけで気分が高揚してきた。なんだか猛烈な追い風が吹いてきたのではないか、恋愛の神様に好かれているのではないか、そんな気がしてきた。もしかしてこのままトントン拍子でいっちゃう?いや、いっちゃうんじゃない?
逸る気持ちを抑え、電車に乗り込む。滝川、岩見沢で乗り換え、札幌に着いたのは午後二時四十四分だった。
よし、充分間に合う。ゆっくり話もできる。いやがおうがうえにも気持ちが高まる。
うおー、早く会いたいぜー。自転車を組み立てる手にも自然と熱がこもる。「はやく、はやく」と声が漏れる。
「おー、自転車かね」
突然、頭上から声が降ってきた。見上げると、一人のおっちゃんが関西弁で何か言っている。あー、もー、こんな急いでいる時にー。なんなんだよー。いや、暇な時なら全然いいんだけど、今はちょっと忙しいんですよ。
とはいっても、無下にするのも悪いので、一応相手をする。「バスで北海道を周っている」なんてことを言っていたが、詳しいことは覚えていない。だってこっちはそれどころじゃないんだもん。
無事組み立て終了。おっちゃんはまだ話をしていたそうだったが、そこまで相手をするほど人はよくない。おっちゃんを置いて、すぐ先の大通り公園へ向かう。「はやく、はやく」ふたたび声が漏れる。
目当ての観光案内所が見えてきた。とたんにドキドキ。心臓バクバク。いやー、緊張するなあ。
「好きなんです」
さすがにいきなりそんなことを言う勇気はないので、ちょっと斜めの方向から距離を置いて中を覗いてみる。
いた。人がいた。彼女がいた。しかし、横を向いているため顔がいまいちよく見えない。わかるのは髪形くらいだ。ちなみにストレート。
あれ?違った。彼女じゃなかった。
言うのを忘れていましたが、彼女はパーマをかけているのです。
そうだった。ほかにもスタッフがいるんだった。彼女に会える嬉しさのあまり、そのことをすっかり忘れていた。
あーあ。がっかり。
とはいっても、ここにじっとしていても仕方ない。もしかしたら奥にいるかもしれないし。
意を決して、中に入ることに。そこにいたのは、札幌初日に会った人。しかもいたのはその人一人だけ。どうやらあの人はいないよう。
「おひさしぶりでーす」なんて声をかけてみる。彼女もわたしのことを覚えていたらしく、「あっ、どうも」と言葉を返してきた。
早速、目当ての彼女がいつ出勤してくるか訊いてみる。
「あのー、小柄で、ゆるくパーマをかけた女性がいると思うんですけど。その人って今度いつ出てきますかね?」
一瞬、彼女の顔が強張ったような気がした。もしかして、わたしのことを不審者だと思ったのではないだろうか。そりゃ思うわな。
「スタッフは他にも何人かいるんですけど、いつ出勤してくるかわからないんです。明日もまだ決まっていないんですよ」彼女は少し申し訳なさそうな顔(おそらく演技)でわたしの質問に答えた。
ええ!そうなの?おいおい、マジかよ。
仮に明日出てくるとわかっていれば、このまま札幌に泊まって明日彼女に会うこともできる。明日じゃなくてもいつ出てくるのかさえわかればそれに合わせて札幌にまた来ることもできる。しかし、いつ出てくるかわからないんじゃ話にならない。いつ来るかわからない人を待つ。さすがにそこまではできない。
というか、そんなことってあるのか?なんかおかしくないかい。だって明日出るかどうかもまだ決まっていないなんてそんなことあり得ないだろう。普通、こういうのってシフトとしてあらかじめ組んであるもんじゃないの。
などと、ありとあらゆる疑念が湧いてきたが、さすがに口に出してまでは言えない。そう言われたら、こっちもそれ以上は訊けない。というより、わたしを見つめる彼女の顔がちょっとコワかったんです。早い話、ちょっとビビッちゃったんですね。
あーあ、終わった…。終わってしまった。
一気にテンションが下がった。力が抜けた。頭も心もからっぽになった。
まあでも、こればっかりはしょうがないね。だって言える相手がいないんだもん。
彼女に思いを伝えられなかったというのは心残りだが、こればっかりは仕方ない。きっと縁がなかったということなんでしょう。そう思って諦めることにした。
自転車に乗る元気がないので、押して歩く。自然と視線が下に落ちる。途中、首が痛くなったので頭を上げると、灰色の雲が薄く空にかかっていた。もしかしたら小雨ぐらい降るかもな。ふとそんなことを思う。吹いてくる風が心なしか冷たく感じられた。

サンクスでカップ焼きそばを買って、ヤケクソ気味に口の中へかきこむ。人ごみをかきわけ、札幌駅に戻ってきた時は午後四時半前だった。
ちなみに、この頃にはほとんど気分が回復していた。いつまでも考えていても仕方ない。自分が疲れるだけだ。そう割り切れるようになったのだ。
さて、これからどうするべ。なんて言いながら実はもう考えてあります。ほら、苫小牧で出会ったSさんっているじゃない。そう、飲みや食事をごちそうしてもらったあのSさん。そのSさんに北海道を離れる前に今一度会おうかなあと思っているのです。
またまた。そんなこと言っちゃって。また図々しくおごってもらおうなんて考えているじゃないの?
ありゃ。なんでわかったの?すいません、ちょっとは考えております。
早速、SさんにTEL。すると、「夜にバドミントンをやるので六時半前までには苫小牧に来て欲しい」とのこと。ちなみに札幌から苫小牧までは一時間ちょっとかかる。
構内に入り、苫小牧行きの電車を確認。十七時二分発というのがギリギリ間に合う電車だった。
うわっ。マジかい。後、三十分しかないじゃん。途端に焦りだしたわたしは、外に出て、すぐさま自転車をバラし始めた。
キャリアとフレームを留めてあるネジを外し、地面に置く。続いて、ブレーキワイヤーを外していると、わたしのすぐ脇を三、四歳くらいの女の子が物珍しそうな顔で通りすぎていった。よっぽど自転車がバラバラになっていくのが面白かったのかなんなのか。
おっと、そんなことを考えている場合ではない。急がないと。今度は、さっき外したネジをフレームにはめる。
と思ったらそのネジがない。
え?なんで?なんでないの?おいおい、マジかよ。こりゃ大変だ。キャリアがつけられないと荷物が運べなくなるじゃないか。まったく、なんてこったい。とたんに頭に血がのぼる。体が熱くなる。
おーい、ネジはどこだ、どこなのよー。
しかし、どこにも見当たらず。うわっ、マジかよ。なんでまた、こんな時間のないときに限ってなくなるんだよー。
とにかく落ち着け。冷静になるんだ。必死に自分に言い聞かせる。心を止めて頭を働かす。しばらくして、あることに気がついた。
たしか、あの女の子が通ったところにネジを置いたはず。もしや……さっきの女の子……そうだ。そうに違いない。きっと、あの子が蹴っ飛ばしたんだ!うーっ、再びなんてこったい。
すぐさま地面を這いつくばって探す。が、見当たらない。さらに視線を下げる。顔が地面にくっつきそう。ほとんど土下座状態。たくさんの人がわたしを見ながら通り過ぎていく。うわっ、メチャクチャ恥ずかしい。しかし、そんなことは言ってられない。今は死ぬほどネジが大事。
時間は刻々と過ぎていく。ぶれている精神を集中させる。さっきまでぼやけていた目の焦点が合わさる。じっと目を凝らし、地面をさらうように見る。少しずつ目玉を動かしていくと、ある一点で止まった。
あった。ネジがあった。女の子が通った先にそれはあった。
よっしゃー。嬉しさがこみ上げてくる。一気にホッとした。
いや、待て。安心するのは後だ。こうしている間にも無数の足がネジのそばを行き交っている。また誰かが蹴っ飛ばすとも限らない。
絶対逃すもんか。ネジ目がけて猛然とダッシュ。わたしの勢いに気圧されたのか、一瞬、周りの人が道を開けた。ような気がした。すぐさまネジを拾い上げ、フレームにはめる。ようやくこれで一安心。それにしても、予想外に時間をロスしてしまった。
すぐさま次の作業にとりかかる。前後のタイヤを外し、フレームと一緒に輪行袋に突っ込む。しかし、テキトーに入れたためかファスナーがきっちり閉まらない。無理矢理引っ張るがそれでも閉まらない。うわっ。どうしよう。えーい、もういい。そんなのどうでもいい。後でいい。そういえば時間は?すぐさまケータイを取り出し、目をやる。そこには「16:56」という液晶表示があった。
うわっ。後六分しかないじゃん。こりゃ焦る。「急げ、急げ」自分に声をかける。いつもとは違ったいびつな輪行袋を抱え、欽ちゃん走りで構内を移動。券売機の前で、苫小牧までの料金を確認。と思ったが、時間が惜しいのですぐさま初乗り運賃百六十円のボタンを押す。切符を手に持ち、急いで改札を通り抜ける。しかし、自転車が柵に引っかかって前に進めない。くーっ。三たびなんてこったい。気を鎮め、自転車を横に向けなんとか通過。前方には階段が見える。エスカレーターは?視線を横にずらす。しかしない。くそーっ。ツイてない。仕方がないので階段に向かう。急いでいるため、一段上がるたびに自転車が階段にぶつかる。うーっ、傷がつくー。息を切らし、階段を上がる。視線を上にやると、電車が見えた。よし、間に合うぞ。ふたたびダッシュ。ラストスパートをかけ、勢いよく電車に駆け込んだ。
ところで時間は?ケータイで時刻を確認すると、そこには「17:01」の液晶文字が。
うわっ、一分前じゃん。あぶねー。
とにもかくにも間に合った。ようやくこの時になってホッと一息つくことができた。
ドアの手摺りに輪行袋のストラップをくくりつける。その横にザックとバックを置く。息を整え、車内を見回す。スーツ姿のサラリーマンや制服姿の学生が多い。立っている人もちらほら。思ったより混んでいる。
壁にもたれかかり、今度は車窓に目をやる。電車のスピードが上がるにつれ、流れる景色の速度が上がっていく。空はいつの間にか明るさを取り戻していた。

一時間ほどして、苫小牧駅の一つ手前、沼ノ端駅に到着。ホームに降り、エレベーターで二階に上がると、改札の向こう側にSさんの姿が見えた。
おお、久しぶりです!えーと、二日ぶり、いや四日ぶりですか。なんだか会ったのがつい最近という感じがしますね。
車に乗り、Sさんのアパートへ。しばらくすると、Sさんのお仲間が迎えにきた。一緒に近くにある体育館へ向かう。
体育館に着くと、すでにラケットを手にした人が十人ほどいた。三つのコートに分かれて試合が始まる。わたしはコートの後ろに座って見学。
それにしてもみなさん、とってもお上手。バドミントンといったら子供がやるお遊び、そんなイメージがあったのが、これが始まってみたらとんでもなかった。もの凄いスピードでシャトルが飛び交っているのである。しかもつまらないイージーミスなど一つもない。目の前に繰り広げられているのは紛れもない真剣なバトルなのだ。
もしなんだったらわたしも混ぜてもらおうか。来る前はそんなことを考えていた。でもこれを見たら一瞬にして腰が引けた。とてもじゃないがわたしなんかお呼びじゃないのです。
途中から、小学生の女の子が加わってきた。これがまた上手いのなんのって。実に綺麗なフォームでパーン、パーンと相手コートに打ち返していく。わたしなんか十人束になっても敵いっこない。
しかし、Sさんに言わせれば、そんな彼女にもまだまだ欠点が目につくとのこと。わたしからすればめちゃくちゃ上手いと思うのだが、やはりレベルの高い人は見るところが違うんでしょうね。
二時間ほどで終了。みなさん、いい汗をかいたせいか、スッキリした顔をしていた。
それにしてもこの蒸し暑い中、よくやれますね。なんか尊敬しますわ。わたしなんか見ているだけなのに汗が噴き出してきましたよ。
でもそういえば、と少し思い直す。わたしだって連日暑い中、自転車で走ってきたんだ。周りから見れば、ちょっと普通じゃないだろう。まあ、好きなことなら一生懸命やれるということなんだろうね。
Sさんのアパートに戻る。シャワーを浴びさせてもらい上がると、ビールとおつまみが出てきた。
わーお。またしても飲みですか。すみませんね、気を遣ってもらって。でも、今日は外に行かないの?また、地上のパラダイスに行きたいなあ。なんて思ったりして。図々しくてすいません。
「この後、どうするの?北海道を発つの?」Sさんに訊かれた。
そうですねぇ、正直走りたいところは走ったしなあ。まあ、行きたいところはないわけでもないんですけどね。たとえば阿寒湖とか三国峠とか。でも、今さら行くのもメンドクサイし。というか、そこまで行く気力がもはや残ってないのです。どうやら一周したということで、満足しちゃったみたいです。
いよいよ北海道も潮時のよう。明日一日、苫小牧でゆっくりして、明後日帰ろうかと思います。
その後、少しディープな話をし、十二時消灯。今日もSさんのお宅に泊まらせていただいた。ありがたい。
2010年8月16日(月) 少年はいけない飲み物を購入 (旭川―美瑛 45km)
朝方、土砂降りの雨で目が覚める。あちゃー、今日はやっぱりダメか。あーあ、参ったなあ。ケータイを見ると、午前三時前。起きるにはまだ早い。ま、心配しても仕方ない。もう少し寝るか。
午前四時半、再び目が覚める。目の前の道路にはいくつかの水溜りがある。天気はどうかな?空を見上げる。雲は出ているが、どうやら雨は降っていない。所々には青空も見える。
よっしゃー。これなら行けそうだ。そう、こんなところで停滞なんかしてられないのです。一応、少年に「今出る」とメールを打ち、午前五時半出発。少年とは美瑛の道の駅で落ち合うことにした。
再び空を見上げる。雲がいくつかポツポツと浮かんではいるが、雨は降りそうにはない。よし、大丈夫だ。
しばらく走ると、右手に一軒のライダーハウスが目に入った。おや、もしかしたらここって、少年が泊まっているところじゃない?看板を見る。やはりそうだ。昨日、少年から聞いた名前が書かれてあった。まだいるのか?そっと敷地内に入りこみ、少年の自転車を探す。
数台のオートバイが停まっているところを重点的に探す。が、見当たらない。大型や中型のオートバイならあるのだが、自転車はどこにもない。もしかしてもう出発したか?と思っていたら、ありました、ありました。少年の自転車は、オートバイの中に埋もれるように奥の方に立てかけてあった。
少年を呼び出そうと思い、電話をかける。が、虚しく呼び出し音が遠くに響くだけで、その音が途切れることはなかった。
あーあ、まだ寝ているのか。諦めて通話ボタンを押して電話を切る。仕方ない、外で待ちますか。
ズラリと並んでいるいかにも高そうなオートバイを眺めながら、いくらぐらいするんだろう、などと考えていると、ライダーハウスの中からバイカーらしき人たちが続々と現れた。少年も一緒に出てくるかなあと思い、一人一人の顔をチェックするが、結局、見覚えのある顔は現れなかった。
どうやらまだのよう。仕方ない、もう少し待つか。少年を待つ間、バイカーさんたちとおしゃべりをすることに。
三十分経過。少年の姿は現れない。
遅い。遅すぎる。おーい、いい加減出て来いよー。いくらなんでも寝すぎだろう。
実はですね、この頃になるとちょっと居辛くなってきたのですよ。だってわたし、泊り客じゃないんですよ。それなのにずっとここにいるのも悪いじゃないですか。図々しいじゃないですか。こう見えてもわたし、けっこうそういうことを気にするタイプなんです。
まあいいや。少年とは当初の予定通り道の駅で落ち合えばいい。
「わたし、そろそろ行きますわ」みなさんに告げ、立ち去ろうとすると、途中から話に加わっていたオーナーさんが、「コーヒーでも飲んでいけよ」とわたしをお茶に誘ってくれた。
わーお。嬉しい。嬉しいです。とっても嬉しいです。
でもなあ・・・明らかに部外者のわたしがご馳走になるのはやっぱり図々しいよなあ。少し逡巡した結果、やはり遠慮することに。
「いいから飲んでいけよ」わたしを見据えながらオーナーさんは言った。それを聞いたわたし、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「はい!喜んで!」
あーあ、恥ずかしいったらありゃしない。おれ、完全にビビッているやないかい。
でもね、これは仕方ないのよ。いやね、実はこのオーナー、強面でガタイがいいのです。「実はおれ、堅気じゃないんだよ」そう言われても、ちっとも疑わないような風貌なんです。
そんな人に言われたら誰だってビビるでしょ。しかもさっきの声、心なしかドス利いていたし。
まあ、いいや。こうなったら「さわらぬ神に祟りなし」じゃ。おとなしく申し出を受けることにしましょ。
というわけで、丸テーブルを囲み、みなさんとコーヒーを飲むことに。
それにしても、こんなにのんびりとバイカーさんたちと話をするのははじめてのこと。これ、ちょっと嬉しいかも。
しばらくすると、寝ぼけ眼の少年がやってきた。わたしたちと挨拶を交わした少年はそのまま出発の準備へ。結局、少年の支度が終わるまで話は続いた。
少年の準備が終わり、いざ出発。
とその前に。そうそう、そういやさあ、少年よ、君の今日の予定はどこまでなんだね?ちなみにわたしの心の予定帳では、「一気に富良野まで行く」って書き込まれてあるんだけど。だって、富良野まで四、五十キロ。一日もあれば十分走れる距離。余裕も余裕。当然君もそこまで行くよな。
「今日は白金のキャンプ場に泊まろうと思っています」
あれ?違った。まったく違っていた。少年の口から出てきたのは、わたしの予想もしていない言葉だった。どこをどう聞いても、そこに「富良野」の三文字はなかった。
あー、もー。富良野まで行かないのかよー。
うん?ちょっと待てよ。だいたいわたしはそのキャンプ場の場所を知らない。落胆するのはまだ早い。ひょっとしたら富良野を過ぎた先にそのキャンプ場はあるのかもしれない。そういえば、少年もわたしと別れてからけっこうな距離を走ってきたらしいし。もしかして短い距離じゃ物足りなくなってきているのかも。
「富良野なんてそんな近いところやめて下さいよ。すぐそこじゃないですか。もっと先へ行きましょうよ」もしや、そんなことを言い出すかもしれない。
とりあえずツーリングマップルで調べてみる。
ガーン。違った。これまた違っていた。そのキャンプ場は富良野の全然手前にあった。
あーあ、なんてこったい。まったくもー。どうしてこうもわたしの期待を裏切ってくれるわけ。といっても、少年に罪はないのですが。
できればもっと先に行きたい。というか、もっと先行こうよ。猫好きでもないわたし、誰が聞いてもわかるような猫撫で声で少年を誘ってみた。でも、少年はそこに行くのがまるで自分の運命であるかのように、わたしの提案に首を縦に振る様子はなかった。
あーあ。やっぱりダメですかあ。ダメなんですよねえ。それにしても一日百キロは走りたいわたしとしてはあまりにも短い距離。うーん、参ったなあ。
それじゃあ、ここで少年と別れる?でも、それもなあ。だって、一人で行くならはじめから誘ってないって。
あーあ、どうしましょ。自分の気持ちを優先するか、それとも少年に合わせるか。うーん、考えどころ・・・・・・。
しゃーない。ここはわたしが折れますか。まあ、別に急いでいるわけじゃないしね。とりあえず今のわたしは誰かと一緒に走るという経験ができればいいわけだし。いいでしょ、いいでしょ。ここはおとなしく少年に従いましょう。

少年とランデブーで走り出す。しばらく平坦な道を行くと、上り坂に差し掛かった。そこを上り切ると、色とりどりの花が目に飛び込んできた。道の脇を見ると、「ぜるぶの丘」と書かれた看板がある。あー、はい、はい、はい。「ぜるぶの丘」ね。そういえばガイドブックで見た覚えがありますよ。なるほど、ここだったんですね。
「ちょっと寄ってきませんか」前を走っていた少年がわたしの方に顔を向けて言った。お、なんでわかったんだ?実はわたしもそう言おうと思っていたのだよ。
駐車場脇に自転車を停め、丘へと続く階段を昇っていく。すると、今まで目にしたことのない広大なお花畑が現れた。
わーお。すげー。なんだよ、これ。そこには、赤、青、黄、紫といった色とりどりの花が咲き乱れていた。
すげー、すげーよ、これ。一気にテンションが上がる。
でもこんだけ色鮮やかだと、目がチカチカして痛い気も。たぶん密集しすぎているのが原因の一つだと思うのですが。もうちょっとまばらでいいんですよ、まばらで。すいませんね、ぜいたく言っちゃって。
ところで、まだ十時前だというのにメチャクチャ暑い。ここは本当に北海道か?さらに驚かされたのは、内地並の日射しの強さ。肌の焼ける音が聞こえてきそうなくらい強烈なのだ。
一時間ほど滞在し、出発。坂を少し下ると、一軒のスーパーが現れた。なんでも少年、昨年はここで九百八十円のメロンを買ったそうです。そのメロンを探し店内を歩く。「メロンはこっちですよ」という少年の案内で後についていくが、そこにメロンはなかった。
おい、ないじゃん。と思ったら、違う場所にありました。ところで、メロンには五百八十円という値札が貼ってある。
あれ?九百八十円じゃないじゃないか。これはおそらく少年の記憶違いでしょう。だって、一年で倍近く下がるなんてあり得ない。場所といい値段といい、少年、こっちが油断しているとちょくちょくいい加減なことを言います。

後は今日の宿泊地である白金のキャンプ場を目指すのみ。少年によると、ここから二十キロあまり上り坂が続き、途中にはキツイ坂もあるそう。
えー、マジかよー。そんな情報聞きたくなかったよー。そんな坂上りたくないよー。心の中で駄々をこねる。
「ウォー」
「ダーッ」
「オリャー」
途中、叫びながら走る。
え?なにしているのかって?
いやね、異常に眠いので大声出して眠気を吹き飛ばそうとしているのですよ。これ、けっこう効き目あります。みなさんも眠気を感じたらお試しあれ。
なんか声を出したら楽しくなってきた。少年がiPOTを聴いていたので、それに合わせて歌も歌ってみる。いやー、楽しい。実に楽しい。声を出して自転車に乗るってこんなに楽しいことだったんですね。今日初めて知りました。
ところで、井上陽水やらさだまさしやら甲斐バンドやら。やけに懐メロが多いのは気のせいか。
チュウ、チュウ、チュチュ、なつのおじょおーさん♪
さすがに少年がそう歌い出した時には腰を抜かした。
おいおい、なんでそんな歌知っているんだ?それ、おれが小学生の時の歌だぞ。少年に訊くと、なんでも「怒髪天」という恐ろしげな名前のバンドがカバーしているそう。
いやはや驚いた。普通、カバーといったらカッコイイ歌をカバーをするもんでしょ。それがよりによって、七十年代アイドルの郁恵ちゃんをカバーするとは。いやー、時代も変わったもんだ。というか今の時代、あえてそういうものをカバーをするのがカッコイイのかもしれない。なにか違和感は覚えるけど。
ところで、さっきのスーパーから十五キロほど走ってきているのだが、一向に上り坂になる気配がない。むしろ下り坂になっているような気が・・・。
これ、どういうわけ?もしやまたしても少年に騙されたか。
そんな疑念を抱きつつ走る。しばらくすると、道はようやくゆるやかな上り坂に。
おー、ようやく上り坂か。いやー、待っていましたよー。
いや、違う。そうじゃない。別に待っていたわけじゃない。今か今かと思っていたら、思わず喜んじゃったじゃないかよー。まったくもー。
そのまま坂を上っていくと、突如、左手にサイクリングロードが現れた。おお、久しぶりのご対面。嬉しいなー。それにしても、なんでわざわざこんな山の中にあるの?しかもいきなり出てきたし。しばし考える。
あっ、そっか。わかった。きっとこの先は自転車で通るのは危ないんでしょう。もしかしたら道が狭くなっているのかもしれない。そっか、そういうことね。わざわざ気を遣ってくれてるんですね。北海道の方ってお優しいんですね。
それじゃあ、そっちを走ってみましょうか。そこまで親切にされたら無下にはできないのです。
移動してみるとそこは、ゆうに自転車二台が並んで走れる道だった。これで車を気にせずゆっくり走れる。しかも、移ってから気づいたのだが、頭上をたくさんの木々が生い茂り見事な日陰をつくっている。おかげでさっきまでの暑さが嘘のように涼しくなる。おお、ツイてるじゃん。予想もしていなかった幸運に頬がゆるむ。顔がニヤける。やっぱり移動して正解だったよう。
しばらく走ると、あることに気がつく。先へと続く路面が深緑色になっているのだ。なに、これ?近づいてみて分かった。それは苔だった。しかもずっと先まで、まるで絨毯を敷き詰めたようにびっちりと生えている。しかしなんでこんな道に苔?通る人があまりいないってことなんだろうか。
「やられた」
そう思った時には遅かった。タイヤに苔がつき、それが路面との抵抗を生んで思うように進まなくなったのだ。
「転がる石には苔は生えない」そんなことわざが世の中にはある。でも、この場合は逆。タイヤが転がれば転がるほど苔がくっついていく。「転がるタイヤには苔がつく」思わずそんな言葉が思い浮かぶ。
このままだと倒れてしまう。ペダルを強く踏み込む。しかしスピードダウン。というか、力を入れれば入れるほどかえってすべるような気が。一気に自転車が重くなる。しかも上り坂なのに。
もー、マジかよー。なんだよ、これー。
「走りやすいと思わせて実は走りにくい」
って、どんなフェイントだよ、それ。北海道の人ってこんな手のこんだ意地悪をするのか(わかっていると思いますがわたしの思い込み)。
くそーっ。なんでわたしがこんな目に遭わなきゃならんの。ただわたしはせっかくの親切を受けようとしただけなんですよ。その気持ちに応えようとしただけなんですよ。それなのに、なにこの仕打ち。
このままではさすがに重い。一般道に戻る。そのまま走っていればそのうち苔もとれるだろう。そんな見通しもあった。
でも甘かった。一度ついてしまった苔はなかなか剥がれない。タイヤが回る度に、ついた苔がペッタン、ペッタン、まるでとりもちのように路面にくっつく。しかも依然上り坂。当然、さっきまであった日陰はなくなっている。
うー、タイヤが重い。坂がキツイ。おまけに暑い。なにこのちょっとした三重苦。くそーっ、くそーっ。くそーっ。
なんで上り坂なのにさらにキツイ思いをしなきゃならんの。自分でしたこととはいえ腹が立つ。
ふと顔を上げる。先行していた少年の姿がどんどん小さくなっている。
うー、情けない。まさか置いていかれるとは。わたしの方が少年より走れると思っていたのにー。
粘り腰でペダルを回し、ようやく少年に追いつく。少年は一軒のお店の前に自転車を停めていた。どうやらここで買いたいものがあるらしい。休憩を兼ねわたしも中に入る。ちなみに少年はここでいけない飲み物(ヒント:少年は未成年)を購入していた。
あーあ、いいのかな。いいのかな。知らねぇぞ。おら知らねぇぞ。

店を後にし、キャンプ場に向かう。残りわずか。少年の「もうすぐですよ」という声に励まされ、自転車を漕ぐ。相変わらずの上り坂であるが、さっき休んだため体力が回復。思っていたより早くキャンプ場に着いた。
しかし、がらーん。そこは木々に囲まれた広い芝生が見えるだけ。テントは一つしか張られていなかった。
まー、そりゃそうだわな。まだ昼の一時にもなっていないんだもん。こんなに早くからテントを張る人なんていないでしょう。
と思ったら、今からわれわれが張るんだった。あははは。
ん?そういえばテント?なにも考えずにキャンプ場に来たわたしだが、そいやぁテントなんて持ってないぞ。すっかり忘れていたぞ。こりゃ、笑っている場合ではない。どうするんだ、おれ?
管理棟に行ってその旨を話すと、五百円の貸しテントがあるということを教えてくれた。
あー、そうなんだ。それはよかった。ほっとした。よかったのはよかったんだけども、五百円か。ただ泊まるだけなのに五百円もかかるんだよね。うーん、タダってことは・・・無理ですか。
くー、五百円か。しかもこの期に及んで、別途四百円のキャンプ場利用料がかかることが判明。うわっ、ということは全部で九百円かよ。
はい即決。テントは却下。ケチります。寝袋一つで泊まります。
だって泊まるところにお金をかけてこなかったんですよ、ネットカフェ以外。そんなわたしにすれば四百円出すだけでも大事件。
え?雨?雨降ったらどうするの?いや、大丈夫でしょう。だってこんなに晴れてるんだもん。降るわけないって。まあ、いいや。じゃあ、降るか降らないかは勝負っていうことで。多分わたしの楽勝に終わると思いますけどね。
テントはいいです、と管理棟で四百円を払うと、「なんだったら東屋があるので、そこを使ってもいいよ」親切にも管理人さんが言ってくれた。
ありがとうございます。いやでも、おそらく出番はないと思います。
さて、寝床問題も解決したし、これから何しましょ。まだ一時過ぎだけど。
芝生の上にマットを敷いて、その上でウダウダしてみる。寝転がったり、仰向けになって目を瞑ったり。
ケータイを見る。でも、まだ一時半。うー、時間経たねー。
いやー、参った。こんなに早く切り上げるなんて滅多にないので完全に手持ち無沙汰になってしまった。少年の持ってきたガイドブックを見たり、iPODを借りて時間をうっちゃりにかかる。少年におんぶにだっこのわたし。情けない。
再びケータイに目をやる。が、まだ三時前。はーっ。することねぇー。
どうしましょ、どうしましょ。なにしましょ。おろおろするわたし。
すると少年が、まるでわたしの心を見透かしたかのように、これから飯を作ると言い出した。
おおっ。マジですか。いやー、ラッキーだ。
え?なにがラッキーかって?いやね、実はそれを見て時間をやり過ごそうと思いついたのですよ。
少年は飯ごうで米を炊き始めた。続いて、コッヘルにチーズ、ウィンナー、トマトジュースを入れて、炒め始める。適当に仕上がったところで、それを炊き上がったご飯と一緒に混ぜ合わせる。あっという間に「トマトチーズリゾット」(もどき)の出来上がり。
おお。なんかいいニオイがしてきますね。それにちょっとうまそうだし。少年に頼み、一口いただくことに。
旨いじゃん。どこがどう旨いのかと訊かれると困るが、とにかくわたしの予想を超えたおいしさだった。
それにしても、少年は実に楽しそうに作っていた。あれやこれや考えながら作っているのが、はたから見ていて楽しそうだったのだ。
今回、北海道を周るにあたって、料理をすることなんて考えもしなかった。とにかく走ることだけで頭が一杯で、そこまで考えが及ばなかった。
そもそも料理なんて面倒くさいだけ。しかも料理道具は荷物になるわ、食材はわざわざ買わなければならない。なに一ついいことなんてない。今までそう思っていた。
でも、少年を見ているうちにちょっと考えが変わった。案外、簡単そう。それになにより楽しそうなのである。
よし、わたしもいずれやってみよう。そう、心に決める。といっても、明日になれば忘れているんですが。

午後四時半過ぎ、近くにある旅館のお風呂へ。ちなみに行くのはわたし一人だけ。少年は二日にいっぺん入ればいいらしく、今日は水に濡らしたタオルで体を拭いてOKだそうです。
いやー、いいねー。若いねー。それで済んじゃうなんて実に羨ましい。一日くらい風呂に入らなくたって、どうってことないんだろうね。きっとそれが若さなんだろうね。
わたしなんかとてもじゃないけど無理。タオルで拭いても体の表面が綺麗になるだけ。体の中から老廃物が抜けてない感じでとっても気持ち悪いのだ。それは旅のはじめに痛いほど実感しております。
お風呂から上がり、少年と合流。来る途中に寄ったお店へ歩いて行く。そこで少年は本日二本目のいけない飲み物、わたしはチューハイをそれぞれ購入。
おいおい、大丈夫か。二本も飲んで。
少年がまたもやいけない飲み物を買ったことにちょっと不安を覚える。だって、ここは一応わたしが保護者になるんでしょ。やだよ、急性ナンチャラになって救急車を呼ぶ羽目にでもなったりしたら。
坂をてくてく上り、キャンプ場に戻る。昼間とは打って変わってたくさんのテントが設置されていた。
おお、なんかようやくキャンプ場って感じがしてきましたよー。さっきは全然なかったもんなあ。
マットの上に腰を下ろし、チューハイを飲みながら、しばしみなさんの様子を眺める。
うーん、違う。想像していたのと全然違う。
キャンプ場って、こう、もっと知らない人との交流があるのかと思っていたら、わたしの見る限りそういった光景が全然ないのですよ。簡単に言えば、家族やグループで来ている人はその中で盛り上がり、一人で来ている人は一人の時間を楽しんでいる、そんな感じなのだ。
面白くない。実に面白くない。
だって見知らぬ人と知り合うのが旅の醍醐味の一つでしょ。
あーあ、これじゃあ、ホテルや旅館に泊まるのと変わらないじゃないか。泊まる所がテントに変わっただけじゃないか。なにかキャンプというだけで、みなさん開放的になっていると思っていたのですが。どうやらそこまでではないみたいです。
時刻は午後六時半過ぎ。空を見上げると、昼間にはなかった灰色の雲がもくもくと立ち込めていた。嫌な予感。
でも、今日は勝負するんだもん。寝袋で寝るんだもん。
たくさんのテントが並んでいる中、一人、寝袋を広げる。横になってしばらくすると、ポツポツと冷たいものが顔に当たってきた。そう、雨である。
うわー、マジかよ。ちょっと怯むが大見得を切った手前、簡単には引き下がれない。しかしそうこうしているうちにも次第に雨粒の数が多くなってきた。
ダメ。無理。こりゃ無理。
もういいです。負けでいいです。ゴメンナサイ。わたしが間違っておりました。すぐさま東屋に逃げ込むわたし。まったくもって勝負になりませんでした。
2010年8月15日(日) マックで寝てみませんか (旭川 38km)
朝、目を覚まし、ケータイを見る。時刻は午前三時四十分を表示していた。さすがに後、十分じゃ無理か。いやね、昨日は八時間のナイトパックで入ったので、三時五十一分にはここを出なきゃならんのですよ。
しゃーない、一時間ほど延長するか。そうそう、昨日ネットで調べたら、旭川行きの始発が午前六時一分にあるそうなので、今日はその電車に乗って旭川に行こうと思います。
午前五時前、ネットカフェを後にし、札幌駅へ向かう。到着すると、すぐにタイヤを外しフレームとともに輪行袋に入れる。およそ十五分で終了。おお、わたしもかなり手慣れてきたもんです。
構内に入り、切符を買おうとすると、床に大きな輪行袋を置いた少年の姿が目に入った。おや?もしかしてわたしと同じ輪行ですか?近寄って話しかけてみることに。
「こんにちは。これって自転車ですよね。どちらまで行かれるんですか?」
「えーと、旭川の先の上川まで行って、そこから自転車で走ろうと思っています」突然話しかけられて驚くかと思ったが、案外冷静に答える少年。
「じゃあ、もしかして六時一分の電車?」
「ええ。そうです」
はい、キター!わたしといっしょの電車ですね。これで旭川まで退屈せずにすむ。いい話し相手ができたぞいと。
彼は愛知県在住の高校二年生。夏休みを利用して一週間ほど北海道を走るそうです。
うーん、えらい!若いうちにそういう旅行はいいことです。あまり若くないわたし、そう思いますデス。
そんな彼と話していて驚いたことがあった。なんと彼が通っている男子校の学費、それが一般的なサラリーマンの年収と同じぐらいなのだ。
うっそ!マジかい。唖然、呆然。耳を疑った。軽く腰を抜かした。だって、サラリーマンの年収でしょ。普通の人はそれで住宅費やら食費、光熱費、娯楽費、教育費などをすべてまかなうんだよ。でも、きみんところは、学費だけでそれを全部使っちゃうんだよね。
そんな学校がこの世に実在するとは。二の句が継げず、ただただ驚くばかり。
それにしてもサラリーマンの年収ということは、何百万円はかかるということだよね。
「ところで学費っていくらなの?」恐ろしすぎてそんなことは訊けなかった。ちなみにクラスメートのほとんどは、社長か医者の息子だそうです。
そりゃそうでしょ。並の家庭じゃまず通えない。もしかして、これって実録『花より男子』か?よく見れば、彼、F4にいてもおかしくないような感じだし。うーん、わたしたち庶民とは住む世界が違い過ぎます。
午前八時五十五分、旭川駅着。彼とはここでお別れ。結局約三時間、ずっと話しっぱなしだった。別れ際、右手を差し出しながらわたしは言った。「話し相手になってくれてありがとう。おかげで退屈しなくてすんだよ」
「いえ、こちらこそありがとうございました。いろいろ話ができて楽しかったですよ」わたしの手を握りながら少年は言った。
大人だろうが、誰であろうが、対等である。そんな気持ちが彼の言葉からは伝わってきた。
実に礼儀正しく、堂々とした少年だった。なにか育ちのよさを感じますね。きっとこういう少年が世の中でいうエリートと呼ばれる人になっていくんでしょうね。
それにしても、なにか敗北感があるのは気のせいだろうか。

輪行袋と荷物に埋もれた体を引きずり、改札を通り過ぎる。構内を出て、自転車を組み立てていると前から声が聞こえてきた。
「おはようございまーす」
見ると、ウトロで別れた少年だった。そうなんです。実は、昨日旭川に着いた少年と、「それなら一緒に富良野まで走ろうよ」とメールで約束していたのです。いやー、それにしても久しぶり。なにかずいぶん見ないうちに逞しくなったんじゃないかい。
さて、これからどうしよう。今日一日は旭川にいるとしても、問題は明日。できれば明日から富良野に向けて走りたいのだが、天気予報によると生憎の雨らしい。そうなると旭川で連泊か?嫌だなー。だって二日もいてもすることないでしょ。
ま、先のことを考えても仕方ない。とりあえず今日である。なんでも少年はラーメン村に行ってラーメンを食べたいらしい。まあ、いいですけど。とくに旭川で行きたいところはないしね。ちなみに少し離れたところには、動物好きにはたまらないかの有名な旭山動物園があるのだが、正直行く気はしない。動物にあまり興味がわたしには、とても入園料八百円の価値があるとは思えないのだ。かといって、「ラーメン食いてー」でもないんですが。まー、早い話、旭川で行きたいところはないのです。とはいっても、せっかく来たのだから素通りするのはもったいない。とりあえず旭川に行った、そんな記憶を残しておきたい。ただそれだけなんです。
と、ここまで書いて思った。これ、全然早い話じゃないじゃないか。わたしが読者なら間違いなくつっこんでいるところである。
少年と駅ビルの店をひやかし、ラーメン村へと向かう。途中、ユニクロで少年の買い物に付き合い、無事到着。見ると、平屋建ての建物の中に八軒ほどのラーメン屋が店を出していた。
北海道歴が長い少年は幾度となくここに来ていて、来るたびにお店が入れ替わっているそうです。
いいと思います。おそらく人気のない店は淘汰されるということなんでしょう。至極当然のことですね。やはりそういった正当な競争がないと味が落ちていくと思います。
それはさておき、どの店にする?少年はどこでもいいらしく、わたしに任せると言っている。うーん、正直、わたしもどこでもいいのですが。というか、どの店がいいのかまったくわからんのですよ。
結局、とくにラーメン好きでもグルメでもないわたしが唯一知っていたということで、「山頭火」にする。なぜかこのお店だけは知っていた。多分、種田山頭火を知っていたので店名を憶えていたのだと思います。
さして行列に並ばず、店の中へ。わたしは辛味噌ラーメン、少年はとんトロラーメンを注文。
旨いじゃん、これ。ピリッとした辛味噌と麺がうまく絡みあって美味しいのである。ただ、決して舌が肥えているとは言えないわたし、他のラーメン屋と比べてどれほど美味しいのかはわかりません。
食べ終わり、外へ。少年はこれから『インセプション』という映画を観るそうです。
あー、それ知っているわ。渡辺謙とディカプリオが出ているヤツだろ。だってさかんにテレビでCMスポット流れていたもん。
わたしも観ないかと誘われたが、今のわたしに千五百円はちと高い。映画観るならその金でネットカフェ泊まるわい。
ボーっと待っていても仕方ないので、その間わたしは洗濯することに。着替えが残り一日分しかないのです。
旭川の街をコインランドリーを探して走る。あてずっぽうに走っていたら、コインランドリーに遭遇。おお、ラッキーじゃん。洗濯をしている間は、旭川の街を散策することにした。
で、街の印象はというと・・・・・・うーん、なんなんだろう。いや、なんと言ったらいいのだろう、これ。特徴がない街、というのが正直な感想なのですが。
道は広くて綺麗に整備されているのだが、目にするものといえば、ファミレス、家電量販店、ファーストフード店、古本屋など郊外によくある風景。旭川らしさというものがまったく感じられないのだ。きっと旭川は、街並を楽しむようなところじゃないんですね。
少し驚いたこともあった。駅前はわりと賑わっているのだが、そこから少し離れると空き地がポツポツと目立ってやけに寂しげだったのである。
うーん、これはいったいどういうことなんだろう。もしかして地上げ屋の仕業?そうとも思ったが、バブルはとっくに終わっているし。うーん、なんなんでしょう、これ。知っている方がいたら教えて下さい。
走っている途中、雨が降り出す。洗濯を終え、雨宿りがてら駅にいると、少年からメールが入った。なんでも映画を観終わり、これからライダーハウスに向かうそうです。
うーん、ライダーハウスですか。君はそこに泊まるんですか。あー、わたしはどっしよっかなあ。いやね、別にそこに泊まるのはいいんですが、近くにお風呂がないんですよ。
特別これといったこだわりのないわたしではあるが、お風呂には毎日入りたいかな。そこはちょっと譲れないかも。
駅の一画にある観光案内所行く。訊くと、駅からさほど離れてないところに銭湯があるとのこと。よっし。これでスッキリできるぞ。
少年に、「おれはテキトーにここらへんで泊まるわ」というメールを打ち、市街で泊まれそうな場所を探す。なーんて言いながら実はもう目星はつけてあります。実は、マック、えーと関西風に言うとマクドか、つまりマクドナルドに泊まろうと思っているのです。
え?マック?マックって泊まれるの?
そう思ったそこのあなた。そうなんです。わたしも最初そう思ったんです。
ところが、斜里で出会った金丸くんによると、これが全然余裕なんだそうです。
「コーヒーならお替り自由。冷暖房完備だし、充電し放題。こんないい場所ないですよ」
まるで豪華ホテルに泊まるかのような口ぶりに、思わず心動かされちゃったんです。そこで一応訊いてみた。
「でも、さすがに横になって寝るのはできないでしょう」
「いや、大丈夫ですよ」
えっ?そうなの?いや、マジで?てっきりわたし、テーブルに突っ伏して寝るのかと思っていたんですけど。でも横になれるのならちゃんと眠ることもできそう。よし、そんじゃ一回泊まってみようか。それになんか楽しそうだし。
金丸くんの話を聞いて以来、実は、ずっと泊まれる機会を窺っていた。そしてようやくその機会が今日訪れた。北海道滞在も残りわずか。おそらくこれが最後のチャンスでしょう。

お風呂に入り、いよいよ駅近くのマックに向かう。いやー、さすがに緊張してくるなあ。いざやるとなると本当に大丈夫なのか、やはり不安なのですよ。しかし、ここまできたら後には引けない。いや、引いてもいいんですが。
少し気合を入れてお店の中へ。百二十円のコーヒーを注文すると、なぜかチキンの唐揚げがついてきた。
コーヒーを手に持ち、ゆっくりと店内を見渡す。できれば奥がいい。そちらへ目をやる。人はいるが一番奥の場所は空いている。おお、ラッキーじゃん。よし、ここにしよう!すぐにそちらへと歩き始める。
いや、待て。早まるな。慎重を期して一応、イメージしておこう。横になっている自分の姿を頭に思い浮かべる。
ダメだ。これじゃあダメだ。あまりにも隣の人と距離が近くなってしまう。
他によい場所はないか、と顔を右に向ける。一つづきになっている長ソファが目に入った。すばやく端から端へと目を走らす。誰もいない。よし、ここにしよう。
と思ったが、レジから近いのが気になる。店員の視線が気になる。ふたたび店内をぐるりと見渡す。しかし、遂行できそうな場所は他にはなかった。
しゃーない、妥協してここにするか。とりあえず荷物を置き、陣取ることに。店内の時計に目をやる。まだ六時。寝るにはだいぶ早い時間だが、正直もう寝てしまいたい。昨日はネットカフェ泊だったので相変わらずの寝不足なのです。まあ、いっか。ほとんど客いないし。よし、寝てみるか。ふたたび気合を入れる。さあ、いよいよ実行の時だ。
うーん、でもなあ・・・。初心者のわたしがいきなり横になるのは勇気がいるよなあ。それにすぐに横になったら、さすがに店員も注意しに飛んで来るだろう。ここはまず不自然に思われないように、徐々に寝る体勢にもっていったほうがいいのではないか。
しばし周り、とくに店員の様子を窺う。誰一人わたしに視線を向けている者はいない。よし、今度こそいくぞ。第一段階として、まずはソファの上にあぐらをかいてみる。と同時にすぐに周りに視線を向ける。グループ客は仲間内の話で盛り上がり、一人客はケータイをいじっているかボーっとしている。肝心の店員は客の応対に忙しい。誰もわたしのことを不審がっている者はいない。よし、まずは第一段階クリアだ。引き続き第二段階へ。あぐらをかいていた足をほどき、体を横に向ける。今度はそのまま膝を抱えて体育座りの体勢へ。さて、これはどうだ?すばやく周囲に目を走らせる。誰もわたしの方を見ている者はいない。ホッ。どうやらこれも大丈夫な模様。よしよし、これならまだまだいけそうだ。この勢いを借りて第三段階へ。今度は立ち膝のまま、そっと上半身だけを倒してみる。さすがにこれはちょっと厳しいか?と思ったが、相変わらず周りの視線は感じない。おお、なんとこれもクリア。わーお。よし、この調子ならこのままいけるんじゃねえか。
ところが、ここからが問題だった。
「ちょっとリラックスしているだけ」今まではそういった雰囲気でいけた。でも、ここからは最終段階。いよいよ全身を伸ばさないといけないのである。
さすがにそうなると、どう見てもゆっくりくつろいでいる風には見えない。というか、単なる寝ているようにしか見えないだろう。ここはかなり難関。
上半身を起こした状態で脚を前に投げ出してみたり、または、脚を伸ばしたままで上半身だけをねじったりみたり。三十分ほどあれやこれやと体勢を変えてみるが、なかなか踏ん切りがつかない。といっても、このままでは埒が明かない。やるかどうかしばし逡巡。
えーい!男は勇気じゃ!いったれ!おそるおそる曲げていた膝を伸ばす。全身が棒のように一直線になった。
おお!やった!やっちゃった!ついにやってしまった!
息を止め、すぐさま周りの反応を窺う。相変わらずみなさん、それぞれの世界で忙しい様子。誰もわたしを不審がる者はいない。
なんだ大丈夫じゃん。やればできるじゃん。ここまでくれば後は目を瞑るだけ。造作はない。しかも眠いし。きっとあっという間に眠ることができるだろう。そして目が覚めた時には富良野に向けて走りだす。
わーお。できたことの達成感と明日への期待感で、ちょっとした幸せを感じる。そんな幸福感に包まれながらそっと目を瞑る。意識が遠のいていくのを感じながら眠りについた。
「ちょっと、ちょっと!お客さん!ここで寝ないで下さいよ!」
突然、尖った声がわたしを直撃した。ハッと目を開ける。そこには眼鏡をかけた店員が腕を組んで仁王立ちしていた。しばしその店員と目が合う。店員はわたしを睨みつけてくる。鋭い矢のような視線がわたしの顔をブスブスと突き刺してくる。心なしか髪の毛が逆立っているようにも見える。無数の針のような殺気がわたしに向かって放射されている。顔が赤く上気し、怒りに顔を滲ませ、何か言葉にならないことをブツブツ言っている。
どうやらわたし、いけないことをしちゃったみたいです。
もー、やっぱりダメじゃんかよー。起こされちゃったんじゃんかよー。と思う一方、やっぱりな、という思いもあった。だって横になって寝ることが許されるのならみんなやるでしょ。そんなことになったら収拾つかないじゃん。
あーあ、やっちゃった。やっちまったよ。
ま、でもやっちゃったものはしょうがない。「すいません」とすぐさま頭を下げる。それを見ていた店員は、さっと踵を返し無言のままカウンターの方へと歩いていった。背中には怒りのオーラが燃え上がっていた。
壁に掛かっている時計を見る。夜の十時を過ぎたばかりだった。ということは、一時間ほど眠っていたのか。それにしてもカッコ悪いというかなんというか。まったくこんなことで怒られるなんて恥ずかしいったらありゃしない。まあ、でもいっか。一応、多少なりとも寝ることはできた。気は済んだ。後悔はないです。店員を怒らせたのは悪かったが。
コーヒーで飲もうかな。よろよろとソファから立ち上がり、カウンターへ向かう。一時間とはいえ眠ることができた。頭はけっこうスッキリしている。それにしても、ここで寝れないとなると、どこか他に場所を見つけないとなあ。
さて、日記でも書くとしますか。うまい具合に時間を潰すとしたらそれしか思いつかないのです。
しばらく日記をつける。途中、トイレのために席を立つ。戻ってくると、隣のテーブルにツーリングマップルが置いてあるのが目に入った。あれ?もしや旅人?
声をかけてみると、やはりそうでした。山岳サークルに入っている大学生。なんでも昨日まで大雪山を登っていて、明日からバスや電車を乗り継ぎ、道東を中心に北海道を回るそうです。
おお、道東ですか。なつかしー。つい最近までわたしも行っていましたよ。というわけで、オススメの場所を挙げたりする。結局、二時間ほど話をした。
時計を見ると、〇時半過ぎ。そろそろ寝る場所を探さないとね。さて、どうする?と言いつつ、一応見当はつけています。お風呂に行く途中に市役所を見かけたので、そこの軒下を借りようかと思っているのです。
そんじゃ、そろそろ行きますか。なんとなく店員の視線も感じますしね。窓から外を見る。夕方から降っていた雨はすでに上がっていた。
自転車に荷物を積む。十分とかからず市役所に到着。少し走り回ると広い軒下があったのでそこに自転車を停める。ケータイを見ると、時刻は午前一時を回っていた。おっと、もうそんな時間か。明日も早いのでさっさと寝ることに。敷いたマットの上に寝袋を広げ、そこに潜り込む。雨上がりのせいか少し蒸し暑い夜だった。




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